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2002年9月04日更新 |
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ロンドンの英語学校には世界中から生徒が集まってきていたが、私が一番仲良くなったのは台湾から来ていたジョーという女の子だった。何しろ英語が通じなくても漢字で筆談できるのだ。私たちはいろいろな話をした。例えば、中国人と日本人と韓国人の見分け方とか。
ロンドンには日本人以外にも多くの韓国人や中国人観光客が来ていた。東洋人同士の間ではお互いパッと見で、どこの国の人か何となくわかるのだが、西洋人たちから見れば全く区別がつかないらしく、私も香港からの団体客の一員だと思われて、無料でマダムタッソーの館に入場してしまったりもした。「何となくわかる」の「何となく」というのが気持ち悪かったので、台湾人であるジョーの意見も聞いてみたのである。グリーン・パークの芝に寝転び、道行く東洋人観光客を眺めながら「あのメガネの形は日本のものではない」「あの服は台湾では売ってない」などとお互い勝手なことを言っていた。ジョーは「パーマをかけている女の子は日本人の可能性が高い」と言っていたが、どうだろう?私は「すでにW杯から1ヶ月以上たっているのに赤いTシャツを着ているのが韓国人。ベッカムのポスターの前で立ち止まっているのが日本人」という意見を彼女にぶつけてみたのだが、あまりW杯には興味はないようで「ふーん」と言われただけだった。
ジョーは日本のことを実によく知っていた。宇多田ヒカルから安室奈美恵、夏目漱石から徳川家康まで。驚くべきことに「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」まで知っていた。こちらは台湾のことをほとんど知らないばかりか、占領中、台湾で日本がどんなことをしたのかも知らないというのに。
最後の授業の日、私たちはハグして別れた。ツアイツィエン(再見)という中国語で別れの挨拶をしようと思っていたのに、すっかり忘れていた。ゆるしておくれ、ジョー。私は本番に弱いのだ。ああ、夏が過ぎ去って行く。思い出だけを残して。どうして最後の日にこんなに素敵に青い空なのさ、ロンドン!帰りたくなくなるじゃんか・・・すっかりサンチマンタリズムに浸っていた私を今度はホームステイ先のホスト・ファミリーとの別れが待っていた。フィッシュ・アンド・チップス、おいしゅうございました。私はロンドンを愛しています。日本語だったら絶対言わないようなことも英語だと言えちゃうもんなのだ。
そして、英語も通じない別れもあった。ホスト・ファミリーの愛犬フェリックスとの別れだ。私は日本では完全な猫派で、犬嫌いであったのに、このフェリックスはやたら人懐っこいうえに、私もホスト・ファミリーとの会話が行き詰まる度に、つまりかなりの頻度で彼を捕まえて撫でていたために、すっかり仲良しになっていたのだ。彼の大好物は骨の形をした犬用ビスケットだった。「フェリックスは誰とでも仲良くなるけど、エサをくれた人とは永遠の友達になるの。あなたもこのビスケットをフェリックスに食べさせてあげて」そうファミリーの奥さんに言われて、私もフェリックスにビスケットをやった。ものすごい勢いで食いついた。本当にこのビスケットが好きらしい。食いしん坊犬なのだ。こうして私たちは永遠の友達になったのだった。
最後の日の朝、私が朝食を終えて2階の自分の部屋に戻ると、フェリックスが私の部屋から出てきた。普段はほとんど2階に上がってくることはなかったのに。「もしかしてお別れを言いに?まさかね」などと思っていると、あの骨形ビスケットが一つ部屋に置いてあるではないか!
急いで下に下りて奥さんに「フェリックスが ビスケットを置いていったんだ けど、もしかして・・・」「ああ、 プレゼントね。この子はよくそういうことするの。犬だから『そんなもの貰っても人間
は喜ばない』っていくら言い聞かせ てもわかんないの」
「おいおい、奥さん。言い聞か せるとこまちがってる」そう心の中でだけつっこんで、私はフェリックスのところへ 行って頭を撫でてやった。「おまえメチャクチャこのビスケット好きなのに、プレゼントしてくれちゃって・・・いいのか?」そして、改めてそのビスケットを彼にやったのだった。
「コミュニケーションというものは、英語の上手下手だけではないんでないかい」そんなことを教わった気がした。
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