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2003年3月7日更新 |
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「いやもうバタバタで」11年前、まだ入社したばかりの私は、同期入社の男がこの言葉を見事に使いこなす様に驚かされた。「大人じゃん!」自分にはとても遠い言葉に思われたのだった。
それから10年が過ぎ、自分もバタバタ適齢期になったはずなのだが、未だに「バタバタ」を口にしたことがない。世の中の大人たちはもう「いやもうバタバタで」とは言わなくなっていたのだ。「バタバタ」は忙しい、慌しいという状態を示す言葉だが、そこには「活気がある」というニュアンスが含まれている。長引く不景気が世の中から「バタバタムード」を消し去ったのである。そのかわりに最近よく耳にするのが「グダグダ」。無気力、しまりのなさを象徴する言葉だ。
日本語は擬態語・擬音語を多用する。普段何気なく使っている擬態語・擬音語もいろいろ考察してみると面白い。いちいち擬態語・擬音語と両方書くのも面倒なので、以下、両方の意味を持つオノマトペというフランス語を使わせて頂く。セシボ~ン。
時代だけではない、地域によってもオノマトペは変わる。「チンチン」をとても熱い状態に対して使うのは東海地方独特であろう。就職して初めてこの地方に住むことになった私は、「カレーがチンチン」と、初めてこの表現を耳にした時、非常に戸惑った。この地方の人たちのカレーのアクセントは、魚のカレイと同じだ。私は「カレーがチンチン」という言葉から、カレイが尾ひれで立ち上がって、胸びれを上げる様子を想像したものである。
小学5年生の時の作文の授業で、緑川君が先生に誉められた。緑川君は「先生が黒板にチョークでカリコリと字を書いていた」という文を書いたのだが、この「カリコリ」というオノマトペが絶賛されたのだ。「緑川君はいい耳してますね」ふーん、いい耳か。私がオノマトペに興味を持ち始めたのはそれからだった。
そして、ものすごくインパクトのあるオノマトペに出会った。「エグリエグリホテグリビチャビチャ」こう書いても何のことだかわかるまい。これは風呂をかき回す音なのだ。何じゃそれという方も、風呂をかきまわしていたのが誰かを聞けば納得するであろう。まことちゃんだ。あの漂流教室と同じタッチの絵で、まるで魔女の呪文のようなレタリングを施された「エグリエグリホテグリビチャビチャ」。一生忘れない気がする。

「ええいあ」
貰い泣きの図 |
そのほかにも忘れられないオノマトペがいくつかある。空中ブランコが「ゆあーん ゆよーん ゆあゆよーん」だったり、或いは火星人が「ネリリし キルルし ハララしているか」だったり。最近では「ええいあ」と貰い泣き。やはり優れた芸術家は「いい耳」を持っているようだ。
オノマトペといえば長嶋さんを思い浮かべる方も多いだろう。何しろ「ビュッときたのをバンと打つ」だ。使う頻度は常人の5倍は下らないだろう。私の知り合いにも長嶋
さん並の使い手はいる。その人の道案内は「大津通りをピューって行って、若宮大通りをガーっと行くと・・・・」という具合だ。ピューもガーもスピード感がある言葉だが、ガーの方がよりスピード感がある気がする。これは制限速度の違いに基づく使い分けなのだろうかと推測したのだが、また別の機会には「錦通りをピューと行って、大津通りをガー・・・」などと説明している。おかしい、大津通りはピューではないのか?オノマトペに敏感な私はすかさず聞き返したのだが、「どっちでもいいじゃん」という反応だった。常にピューの後はガーというローテーションだったのだ。
全く意味がないにも関わらず、ピューとガーはエスカレートしていく一方だった。しまいには「ピューってコンビに行って、ガーって弁当探したんだけど、いいのがなくて、ピューって立ち読みだけして」などと言い出した。もうやかましい。とくにピュー。私は「意味のないピューとかガーはやめろ」ときつくお願いした。すると「・・・・・・」もうピューとかガーと言わないと何もしゃべれない体になっていたのだった。さらに「・・・く、くるしい・・・」なぜか呼吸まで出来なくなっていた。
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