テレビ愛知

Vol.030 文:相澤伸朗  
「マルタ島短期語学留学レポート最終回「サンキューとアイムソーリー」」
2003年10月29日更新
 「ジリリリリリリーン」非常ベルのようなけたたましい音が鳴った。マルタの歴史を映像で見せるというアトラクションに入ったときのことだ。どうやら開演のベルらしい。いや、もしかしたら開演のベルなどというものは最初からなくて、非常ベルが開演のタイミングで誤作動したのかもしれなかった。そのベルは上映中にも、もう一度けたたましくなり響いたのだ。アトラクションは満員だったが、どの客もとくに動じない。「マルタだからね」という空気が流れただけだった。こんな不手際のよくあるところというイメージが旅行客の間に定着しているようだった。

 マルタでは4ッ星ホテルに泊まった。帰国してからカナダ人と話す機会があって「マルタでは4ッ星ホテルに泊まったよ」というと「ああ、マルタの4ッ星ね」と言われた。マルタの4ッ星は特殊な4ッ星と言っていい。はっきり言ってしまえば、「一体誰がそんな評価を下したのか、責任者出て来い!」といいたくなるレベルだった。

 まず、最初の晩はダブルブッキングでドイツ人と相部屋にされた。一晩だけだったし、かえって国際交流のいい機会にはなったのだが、私がもっとも驚いたのは、そのことに対してホテル側からSorryという謝罪が一言もなかったことだった。

 さらに、部屋のテレビは故障していた。そしてテレビの上に「このテレビは故障しています。Thank you」というメモが置かれていた。どうも了承してくれてありがとうというThank youらしい。こちらは了承した覚えは全くないのだが。

 翌日一人部屋に移ると、今度は電話が通じない。フロントに文句を言いに行くと、フロント嬢が悪びれもせず、「当たり前よ、あなたの部屋だけじゃなくて、ホテル中の電話が通じないんだもの」とのたまったのだった。

 帰国の日、このフロント嬢にタクシーを呼んでくれませんかとお願いしたら、「そんなサービスはできません」と言われた。ね?とても4ッ星とは思えないでしょ?「もう電話も直っているから、この番号に自分で電話して」とメモを渡された。部屋に戻り、電話することにした。外線はまず0を押してからと説明書に書いてあったので、その通りにすると、フロントにつながった。そんなことを二回繰り返したら「外にかけるのは9よ」と受話器のむこうからフロント嬢に言われた。こっちは説明書通りにやっているのに。9を押して、電話をかけようとしたけれど、今度はどこにもつながらない。再び0を押して、フロント嬢につながらない旨を申し伝えると、「あなたの部屋の電話は外につながるようになってないんだわ」ときた。この間、一度も彼女の口からSorryという言葉が発せられることはなかったのだった。チェッカーズの「素直にI'm sorry」をキミに歌って聞かせたい、そんな気持ちでいっぱいだった。

 結局、彼女がタクシーを呼んでくれた。「6ポンドでいいってよ」料金交渉もしてくれたらしい。得意げに胸を張っている。マルタに到着した日、私は空港からホテルまで8ポンド払ってきたので、相場より2ポンド、600円安いことになる。彼女は私にSorryを言うことは一度もなかったが、私の方が彼女にThank youと言うはめになった。二週間の間に彼女のぺースというか、マルタのペースにはまっていたのかもしれない。

 I'm sorryを言ってもらうつもりが、こっちがThank youをいうハメになったことはほかにもあった。みやげ物屋のレジでかなり長い時間待たされた時のことだ。明らかに店員の手際が悪さが原因だったので、長い列の後ろから私がイライラした視線を店員に向けていたら、私と目が合った店員が私にウインクしたのだ。「お待たせして申し訳ございません」日本だったらこう言って頭を下げるところだが、マルタではこんな時「そんなにイライラする必要ないじゃん。気楽に行こう」みたいなことを、ウインクで表現するのだ。そう言われりゃそうだ。イライラすることが急にバカらしくなって、思わず笑顔になってしまった。この時も結局、金を払うときには、笑顔でThank youと言っていた。

 そんなマルタにいる間に改めて気づいたことがある。それは「I'm sorryは相手のマイナスの気持ちを0のところまで戻すだけの言葉だが、Thank youはプラスのところまで持っていく力がある」ということ。したがって、I'm sorryが多い国よりも、Thank youが多い国の方が気分よく暮らせるということになる。このことに関して言えば、私ははっきりと日本よりマルタの方がいいと思うようになっていた。

 日本人はマルタ人と比べるとよく謝るが、「ありがとう」を言う回数は少ない。例えば、レストランで水を持ってきてもらったとしても、最初の一杯は無言だし、お代わりを持ってきてもらっても「すいません」だ。いきなり見ず知らずの人に「ありがとう」と言ってはなれなれしすぎる気がする。かといって、「ありがとうございました」では丁寧すぎる。ほどよく他人行儀な「すいません」が使い勝手がいいということになり、結局ここでも「すいません」と謝ってしまう。

 マルタでは他人行儀なんてものは存在しない。ホテルに迎えにきたタクシーの運転手もいきなり「フレンド」と言いながら握手を求めてきた。初対面でもう友達なのだ。もしかすると、私は日本人よりマルタ人の友達の方が多くなってしまったかもしれない。このフレンドリーさがThank youをスラッと言わせるのだ。

 空港に着いてタクシーから降りると、旅行客がタクシーを探しているのが目に入った。マルタには悪質なタクシー運転手が多い。だからこそ、私もタクシーを呼ぶのに神経を使ったのだ。旅先では小さな親切がものすごく嬉しく、後々までも思い出になるということを身にしみて感じていたので、「この運転手さんは良心的だよ」とマイフレンドを紹介してあげようかと思ったのだが、それより先に運転手が話し掛けていた。旅行客は私の泊まっていたホテルの近くまで行きたいようだったが、運転手は「15ポンドでどうだい?」ととんでもない額を吹っかけていた。いい人、悪い人なんて分け方は単純すぎるということを思い知らされた。一筋縄でいかないのがマルタ。いや、どこの国もそうかな?だからこそ、外国を旅するのは面白いのかもしれない。

 帰りはまずマルタからロンドンまで、マルタの航空会社を利用する。飛行機に乗り込むと猛烈に暑い。暑さのあまり呼吸もできないほどだった。他の乗客も何とかしろ!と口々にわめいている。ようやく機長のアナウンスがあった。「今、空調にSmall Problemが起きています」Small probremだぁ?この灼熱地獄をSmall problemと言い切っていいのか?さらに機長は続ける。「今は暑いですが、上空に出れば涼しくなりますし、到着地のロンドンも涼しいです」何という言い草だ!でもやっぱり笑ってしまった私だった。そしてアナウンスの締めくくりは例によって「Thank you」だった。

 笑ってしまったが、飛行機だけに「まあ、マルタだからね」と言ってもいられない。私のシートはリクライニングが壊れて倒れっぱなしだし、そういえばマルタに着いたときの着陸もかなり荒かった気がする。こんな飛行機に命を預けていいものだろうかという気もしたが、無事ロンドンに着いた。やはり着陸は荒っぽくて、ちょっとヒヤヒヤしたけれど。

 ロンドンから成田までは日本の航空会社だ。さっきまでと違って、もう身も心も全て委ねてしまいたい気持ち。安心感が違う。ところが、皮肉なものでこの日本の飛行機に異常が見つかった。「計器の一部に異常がありました。お急ぎのところ大変申し訳ありません」という機長のアナウンスがあった。機長は同じ内容を英語で繰り返す。「I'm very sorry」久々に聞くSorryだった。しかもveryつきだ。さらに機長は「We apologize・・・・」と続ける。まさに平身低頭の趣きだ。

 飛行機は私たちを機内に乗せたまま、空港で3時間立ち往生した。「計器に異常が見つかった」というアナウンスのあとも「燃料に関する計器だということがわかりました」「検査中です」「どうやら故障は計器だけで、エンジン等には異常はない模様です。もう間もなく検査は終わります」「もうすぐ検査は終わります」「検査の結果、故障は計器だけでしたが、規定により、燃料を補給しなければなりません」「間もなく燃料補給を開始します」「これより、燃料を補給します」「燃料補給を開始したところです」「燃料を補給しています」「燃料補給はまもなく終わります」と三時間の間、計14回のアナウンスがあった。そのうち4、5回は別になくてもいいアナウンスだったし、その都度very sorryと、We apologizeが繰り返されたので、正直うざかった。明らかに謝りすぎだ。I'm sorryはマイナスの気持ちを0にするだけの力しかない。別にたくさん言われたからって気分がよくなるもんでもないと改めて感じた。I'm sorryの国へ向いながら、早くもThank youの国が懐かしく感じられた。

 成田から名古屋まで本当は飛行機で帰る予定だったのだが、遅れたためにもう名古屋への最終便が出てしまっており、電車で名古屋まで帰ることになった。航空会社のカウンターに行くと、またまた「申し訳ございませんでした」と深々とお辞儀して、飛行機に乗れなかった代わりの成田エクスプレスと新幹線の代金と、電車の乗り継ぎ表を渡してくれた。

 それによると、5分後の電車に乗らなくてはならない。マルタは、英語学校の授業ですら15分遅れるのが当たり前というルーズなところで、唯一の公共交通機関であるバスも時刻表はあってないようなものだったので、わずか5分後の電車に乗るというのにはとてもビックリしてしまい、思わず「Really?」と聞き返してしまった。まだ脳みその中は日本に切り替わっていないようだ。

 しかし、次の瞬間、そんな私のマルタボケは一喝された。走ってエスカレーターに乗って、ホッと一息、スーツケースから手を離したその時だった。「荷物から手を離さないで!危ないです」と大声で怒られたのだ。

 もちろん係員さんの注意は至極真っ当なのだが、あんなに「申し訳ございません」をたっぷり聞かされたあとに急に怒られたのだ。「日本人、忙シイデスネ」半分マルタ人になっている私にはついていけない気がした。またマルタのバスを思い出す。マルタのバスにはドアがついていない。走っている途中に飛び乗ったり、飛び降りたりする人も多いが、運転手が客に注意することはない。

 逆にあまりに客にかまってくれないので困ったことも多かった。バスには行き先の地名などは表示されていない。ただ番号だけが表示されている。その番号をみてどこ行きのバスか判断しなくてはならないのだが、その番号というのが複雑で、路線図を見てもよくわからない。その都度、運転手に目的地まで行くのか確認してから乗らなくてはいけなかった。降りるときも大変だ。車内でのアナウンスもないし、バス亭には「BUS STOP」としか書いていないので、それがどこなのかまるでわからないのだ。

 どっちがいいとか悪いとかではなく、そんな国から帰ってくると日本の公共交通機関のの親切さが異常に思われるのは確かだ。「このエスカレーターは上りです。下りは反対側にあります。」「白線の内側まで下がってお待ちください」「5号車から6号車への通り抜けはできません。ご自分の座席をお確かめのうえ・・・」次から次へ目に耳に情報が飛び込んでくる。マルタではもともとこんな掲示やアナウンスはないし、あったとしても英語だったので、読もうとか聞こうとかスイッチを入れないと何も情報は入ってこない状況だったのに、日本では溢れるほどの情報が用意されていて、しかも当然のことながら日本語なので、別にスイッチを入れなくてもスムーズに脳に届いてしまう。堰が切れた感覚。日本語の大洪水に襲われたようだった。頭がパンクしそうだ。

 電車に乗ると、車内では電光掲示板にニュースが流れている。ものすごく早く文字が走っていて、読んでいるとものすごくせかされている気がしてくる。あー、もうっ!しかも流れていたニュースは「自殺者増加」「通り魔殺人」・・・こんな国にいたら、そりゃ・・・。

 

Nobuo Aizawa

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