テレビ愛知

Vol.033 文:相澤伸朗  
吉野に桜を見に行く(3)
2004年4月28日更新
 吉野の桜見物は基本的に尾根道に沿って歩くのだが、時おり名所旧跡が脇道を入ったところにあったりするので、方向音痴な私はその都度どっちへ行ったらいいか、途方に暮れてしまう。
「・・・・・僕らはどこから来たのだろう。そしてどこへ向っているのだろう・・・」
「任せて下さい。私『地図の読める女』なんです」
「話は聞かないけど?」
「話も聞けます」
「ほほお。素晴らしい両性具有ぶり。じゃあ、この分かれ道はどっちへ行けばいいのかな」
「こっちです」
「え?本当にこっち?」
「あれ、違うかな・・・」
「こっちじゃないじゃん!本当に地図読めるの?」
「地図は読めます。ただ方向音痴なんです」
「意味ないじゃん!この机上の空論女め!
「また言われた。そのフレーズ気に入ったみたいですね」
「ちょっとね。そうそう、机上の空論でも何でも(吉野に桜を見に行く①参照)卒論で天武天皇なんかを研究した渡辺には、吉野に関する薀蓄をいろいろ聞かせて貰えると期待してたのに、ちっとも出てこないじゃんか!」
「そのうち・・・」
「そのうちって、もう旅は後半に突入してるっつーの!」

 そう、いつのまにか下千本、中千本、上千本まで踏破していた。残すは奥千本だけだ。ここまでは歩いてきたが、上千本から奥千本まではバスを利用する。奥千本は本当にかなり奥にあるらしい。歩くと2時間かかるそうだ。バス亭には長蛇の列が出来ていて、20分並んだ。やっと乗れても座席はない。車内でも20分立ちっぱなしだった。
でも、もっと大変なのはバスの運転手さんだった。
「朝7時から6時間運転しっぱなしですわ。昼飯なんか食うひまありませんわ」
 客相手にグチっていた。余程疲れていたのだろう。相手が観光客であることも忘れてこんなことまで。
「吉野山の桜は標高の低いところから順ぐりにパアアっと咲いていくいいますけど、実際は標高に関係なく日当たりのいいところの桜から咲きますな。バラッバラです。何も華やかなことあらしまへん
 
 バスを降りると、奥千本口と書いてある。まだなのだ。そして、ここからは再び徒歩だ。上千本までと違い、道は杉林に囲まれ、細々としている。勾配もかなりきつい。土の地面や石畳が湿っていて滑る。これはもう花見ではない。登山だ。すれ違う人がときおり「こんにちはー」と声をかけてくる。いわゆる山の挨拶だ。ますます気分は登山モードになっていく。
私は高いところが苦手だ。細い登山道の脇が崖になっていたりすると、もうダメだ。まるで生まれて初めてスキーをする人のボーゲンのような格好になってしまう。ふと気づくと、そんな無様な姿を背後から渡辺アナが写真に撮ろうとしているではないか!
「よしなさい。よしなさいって」
 
必死にやめさせようとしていたら、何だかツービート時代のキヨシさんみたいになってしまった。いつもより弱弱しいのは否めない。広いところに出たら説教だ。
「こんな足場の悪いところで歩きながら写真撮ったりしたら危ないじゃないか」
「だって、相澤さん吉野に行ったってホームページに書くんですよね。頑張っている写真も載せないと。私のジャーリスト魂が・・・」
ちゃんと言えないような言葉は、口にしないがよかろう。

大変な苦労をしてたどり着いた奥千本だったが、桜は蕾だった。下千本、中千本、上千本はある程度同時に楽しむことが出来そうだったが、奥千本だけははっきりタイミングがずれるようだ。しかし、桜の本数はかなりのもの。満開の時分には桃源郷ならぬ、桜源郷ともいうべき別世界になるのではなかろうか。
この桜に囲まれた土地に庵を結んだ人物がいた。桜の下にて春死なむという歌を作り、実際にそのタイミングで息をひきとったという桜大好き法師、西行だ。奥千本にその庵が残されていて、西行の木像が座っていた。こんな山奥のわび住まいに一人で3年も暮らしたのだ。桜のシーズンはまだいいだろうけど、それ以外はどうするんだろう?めちゃくちゃさびしいのではなかろうか?
いやしかし、自然を愛でるというのはそういうことかもしれない。満開の時ばかりでなく、1年通しての姿、四季の移ろいを見てこそ感じられる情趣もあるだろう。初めの一輪が咲いた時の感慨はいかばかりのものか。いずれにしろ、西行はこの吉野をよほど愛していたのに違いない。
そんなことを考えていたら、渡辺アナが口を開いた。
「持統天皇が・・・」
おおっ!やっと来たね、薀蓄が。持統天皇といえば、女帝だよね。天武天皇の奥さんだった人だよね」
「天武天皇は何人も奥さんがいたんですけど、この吉野に連れてきたのは持統天皇だけなんです」
特別な存在だったわけだ」
「そうですね。その気持ちは持統天皇も同じだったみたいですよ。持統天皇は天武天皇の死後即位したんですけど、それから31回も吉野を訪ねてるんです。2人にとって大切な思い出の場所だったんですね」
 ええ話や。西行、持統天皇、吉野を心から愛した人たちのことを思うと、また一段と吉野の桜が美しいものに思えてきた。これからの人生において、おそらく何度か訪れることになるだろう。31回とはいかないとしても。


Nobuo Aizawa

 


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