テレビ愛知

Vol.034 文:相澤伸朗  
高遠に桜を見に行く
2004年5月5日更新
最近、婚欲丸出しの私だ。婚欲というのは結婚したいという欲のこと。いつも強がってばかりいるけれど、本当はとても一人では生きていけないの・・・。
私がこんな公の場で心情を吐露してしまうほど焦り始めたのは、同い年の友人、サイトー君が結婚したせいだ。ほんの一年半前、サイトー君と私は男2人で九州にセンチメンタルジャーニーした間柄だ。大宰府天満宮でおみくじをひき、2人とも「待ち人来る」と書いてあったはずなのに、彼のところだけ待ち人が来たのだ。どういうことなのさ、天神さま。中吉と末吉の差ってことですか?でもお賽銭は私の方が・・・こうして文章を綴っていても妬みや嫉みが入り混じってくる。

 そんな私を思いやり、サイトー君は私を新居に招いたり、レジャーへと連れ出したりしてくれる。ありがたいことだ。四月半ばの日曜の夕方も、サイトー夫妻、そしてサイトー君の会社の後輩ちゃん(♀)、私の四人が集まり、「ま、ごはんでも」と言うことになっていた。
 ただ、時間が実に中途半端だった。まだ五時半だった。「食事の前に軽くドライブでも」という流れになり、我々は長野県の高遠を目指すことになった。
「ちっとも軽くじゃないじゃん!」という突っ込みをお入れになった方も多いことだろう。高遠を主張したのは私です。もともと行ってみたかったのだ。
 高遠といえば、日本三大桜の名所の一つ。私は昔、桜でピンクに染まった高遠を描いた日本画を見たことがあり、その作品に魅せられて以来、高遠への憧れを抱きつづけていた。それほどの作品ならば、作者名、作品名を覚えていてしかるべきなのだが、きれいサッパリ忘れてしまった。それでもあの画の美しさはまだ覚えている。
 高遠という地名もいい。高くて遠いところにあるところ、天上の国のようではないか。大げさに聞こえるかもしれないが、あの画のイメージはまさにそんな感じであった。
 今年の春も行く機会をうかがってはいたのだが、いかんせん遠い。私は免許を持っていないので、電車とバスを使うことになるのだが、それだと4時間近くかかってしまう。ところが、車なら2時間半で着くという。高遠では桜のライトアップをしているから、今からなら夜桜見物にちょうどいい。
 もう一つ気がかりは「まだ桜が咲いているかどうか」だ。金曜日の夕刊の桜情報コーナーでは高遠はまだ満開ということだったが、このところ汗ばむぐらいの陽気が続いていた。微妙だ。それでも、サイトー君が「おとといニュースで高遠から中継してるの見たけど、『この週末まで見頃だということです』って言ってたよ」と言うので、信じることにした。本当は『・・・ということです』という伝聞調が何となく無責任な危うさをはらんでいる気がしてもいたのだが、「行っちゃえ~」というノリだった。私とサイトー君は、すでに心無い人からは中年呼ばわりされる年齢に達してはいるが、心は永遠に学生気分なのだ。「行ってミホ!」そして、時には意味もなく吉岡美穂さん気分だったりもするのだ。


 高遠城址公園は桜の森と言ってもいいほど、多くの桜が植えられていた。城内はさほど広くはないのだが、その数1500本。樹齢100年の古木ばかりで、枝ぶりも実に堂々としている。空堀の中まで桜が植えられていて、堀に渡された橋の名前は「桜雲橋」。確かにこの橋の上を歩けばピンクの雲の上をお散歩する気分を味わえることだろう、満開の時には。そう、もう半分散っていたのだ。やはりあの「・・・ということです」というニュースは要注意だった。
 城内をくまなく歩く。空堀の中も歩けるようになっていた。堀の中に枯山水の庭のように白い砂利をしきつめたところがあった。何故こんなところに、こんなものが?首をかしげながら近づいていく我々。サイトー君は「お殿様のお砂場ですよ」などと適当なことを言っていた。私も「さすが、お殿様は違いますな」などと適当な相槌を打っていたが、すぐそばまで行って驚いた。それは池だったのだ。水面に夥しい数の桜の花びらがびっしりと浮かんでいて、それが白い砂利に見えたのだった。
「ふうっ、危なかったー」
「あやうく池に落ちるところだった」
「あと一歩だったね」
 ・・・みんなウソをついていた。実際は池の周りは柵で囲まれていて、中に入れないようになっていた。ただ、それぐらい間近まで池だと気づかなかったという驚きを表現したかったのだった。それにしてもこんなに散っちゃったのね。
「本当はこの池に桜が映って、それがまたきれいなのよ」
 地元のおばちゃんが教えてくれた。

 すでに時計は8時を回っていた。出店で牛串、みたらし団子、たこ焼きを買って、分け合って食べた。出店のおじさんによると、桜の見頃は先週末だったという。さきほどのおばちゃんといい、地元の人たちからは「高遠の桜は本当はもっとすごいのだ」という気持ちが伝わってくる。高遠は「1年を桜の咲く6日で暮らす街」とも言われることがあるとか。桜への思い入れはなみなみならぬものがあるのだ。
見頃を過ぎていたため、出店もあまり数がない。私と後輩ちゃんは4時というわけのわからない時間に昼食を取っていたので、それほど切羽詰ってはいなかったが、サイトー夫妻はさぞや空腹だったに違いない。奥さんが軽いフットワークで食べ物情報の収集にいそしんでいた。
「ねえねえ、今すれ違った人たち、ストロベリーアイスがどうのとか言ってたよ」
そう言い残して、また店を探しに行く。その後ろ姿を見ながら、サイトー君が言った。
「何か・・・はちみたいだな」
 サイトー君はかなりの大食漢であるが、周りの人間が食事を欲していないときには腹が減っているなどということはおくびにも出さない。この日も私と後輩ちゃんがそれほど空腹でない様子なので、我慢していたのだろう。だが、奥さんはそんなことはお見通し、夫が本当は空腹だということをわかっているから、走り回っていたのだと思う。何というけなげさ。しかし、旅先で食べ物情報を追い求める姿は確かにうっかり八兵衛そのものだった。そんな彼女がまた食べ物情報をもたらした。
「あれ見て!イス無料だってよ」
 食べ物を求める心、夫を思いやる心が彼女にイス無料貸し出しの看板をそう読ませたのだった。うっかりぶりが本物になってきていた。


 うっかりが伝染したのだろうか、別の看板を見て、今度は後輩ちゃんが頓狂な声をあげた。
「何ですか?高遠マンあたまって」
その看板には名物・高遠まん頭と書いてあった。何のことはない。饅頭だ。
「饅頭の『頭』は、『饅』と組み合わせて初めて『じゅう』と読めるわけで、それを『まん』だけひらがなで書くからおかしなことになるんですよ。餃子だって『ぎょう子』って書いてあったら読めませんよね」
 ご立腹のご様子で熱弁を振るう後輩ちゃんだったが、高遠饅頭の味には満足したようだった。
「おいしい。それほど甘くなくて・・・」
 サイトー君がすかさず反応する。「甘からず・・・・辛からず・・・・うまからず
 ダチョウ倶楽部さんのお決まりフレーズである。よほど好きなフレーズらしい。サイトー君の前で「甘くない」という言葉を口にすると、条件反射のごとくこのフレーズが出てくる。パブロフのダチョウだ。私が「うまくないのかよっ!」と突っ込んで、一つのパターンが完成する。サイトー君はこういうパターンに持ってくるとき、必ず「行きますよ」みたいな目で私を見るので、ちゃんと拾ってあげなくてはいけないのだった。


 桜釜めしという看板も見かけたが、もう営業はしていなかった。一体どんな釜めしだろう。私は吉野で先週、桜もちみたいな味のする桜ごはんというのを食しており、きっとあんな感じなのかなと思ったが、サイトー君は違う推測をした。
「馬肉のことをサクラ肉っていうから、馬肉が入ってるんじゃないのかな。信州は馬多いし」
「ふーん。馬肉をサクラって言うんだ。じゃあさ、桜ステークスっていうのも・・・」
 奥さんは最近サイトー君と一緒に馬券を買いに行ったりして、ちょっとづつ競馬に詳しくなりつつあるようだが、さすがに競馬のレースで「馬肉ステークス」はないだろう。
 ううむ、食べ物の話ばかりになってしまった。これもまた花より団子ということになるのだろうか?たいして食べていないのに。今一度、馬肉ではない桜の話に戻してみよう。
「散ってしまってからが、ガイドさんの腕の見せ所っていうけどな」
 ガイドさんなんかいないのに、そんな言葉を三人に投げかけてみたら、奥さんが名乗りをあげた。
「桜を使って生地を染めるのには、桜の幹も使うんだって。花が咲いていなくても桜の色は木の中に流れているんだって」
「へ~え」
 ここにきて初めていい話が出た。なるほど、桜の木は全身の力を振り絞り花を咲かせているのか。しかし、それも今や散るばかり・・・・。あらためて散りゆく桜を眺める我々。
「風が吹くとまた・・・」
「ハラハラ散っていくねえ」
「はかないねえ」
「ホントにハラハラという感じだねえ・・・」
「ハラヒレホレハレ」
 余計な擬音を入れたのは奥さんだった。夫婦というのはやはり似てくるものらしい。性格というか、芸風が。確かにこの夫婦には愛がある。しかし、ツッコミがない。思わず「うるさいよっ!」と突っ込んでしまった。人の奥さんに向って「うるさい」と言ったのは、これが初めてだった。よかったかしらん。

Nobuo Aizawa

 


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