モンゴル語は難しい。ガイドブックにはいくつかの単語の発音がカタカナで書かれていたけれど、カタカナ通りでは正確な発音ではない。例えば、ありがとうは「バイラルラ」だが、最後のラは息が混じったようなフランス語っぽい発音をする。私なりに正確にコピーしたつもりだったが、モンゴル人ツアーコンダクターのエルカさんにはバカ受けした。
「クックックックッ」
モンゴル人はあまり声を出して笑わない。「わっはっは」とか「ギャハハ」という笑い声は、滞在中聞かなかったように思う。草原の人々は笑い方にも慎ましさがある。だから「クックック」でもうバカ受けなのである。・・・これはいける（ニヤリ）。笑いを取ることに貪欲な私はさらにフレンチテイストを濃くして「バイラルラ」と発音してみた。
「クーックックックックッ、クーックックックックッ」
どうかと思うほど受けた。モンゴルでは私は天才コメディアンになれるかもしれない。エルカさんはついに両手で顔を覆った。肩を震わせている。手を外すと両目から涙をこぼしていた。
声は出さないけれど、口を開けて白い歯をみせて笑う。これがモンゴル人の基本的な笑い方だ。楽しげに微笑んでいる印象だ。さわやかである。何といっても歯が白い。驚きの白さと言っていい。モンゴル人は歯に色がつくようなものをあまり食べないからだそうだ。乳製品を多量に摂取するためにカルシウムも十分だし、カチンカチンに硬い保存食を齧るので歯は丈夫になる一方なのだ。
エルカさんの時ではそうでもなかったが、一番人気の乗馬インストラクター、ナラ君が白い歯をキラーンと光らせながら声を出さずに笑うと、日本人女性たちは「さわやかだよねー」「はにかんだ笑顔がいいよねー」と騒ぐのだった。はにかみ、恥じらい、含羞。女性たちによれば日本人男性はこうしたものを失ってしまっているらしい。そういえばいつも声を出さずに笑っていて、「僕はハニカム」などとコマーシャルで言っている韓国人男性も大人気ではないか。もてるにはこれしかない。「僕もハニカム」。私も声を出さずに笑ってみた。
「何それ」
日本人女性たちに一蹴された。ナラ君のはにかみ笑顔を頬や口角の微妙な上げ具合まで私なりに正確にコピーしたつもりだったが、やっぱりはにかめてなかったのだ。そもそもはにかむという気持ちが理解できない。はにかむとは最も遠い職業に従事しているのだからしょうがない。はにかみながらニュースを伝えるアナウンサーなんているわけがない。
最もピュアな「はにかみ」を見たのは、遊牧民のゲルにおじゃましたときのことだった。リュックのファスナーが開いてしまっているのを教えてくれた男の子に、日本人女性の1人が「いい子だね」と声をかけたところ、非常に恥ずかしがり、顔を真っ赤にして、激しく後ろにのけぞったのだ。馬に乗っていたにもかかわらず。のけぞりすぎて、ほとんどもう馬の尻に男の子の頭がついていた。「本物だ」と思った。ものが違う。あれはコピーできない。そんなことしたら、確実に落馬だ。
はにかむのはあきらめたが、「何それ」と言われて、おいそれとは引き下がれない。もともと、このところメディアで伝えられている日本人女性の外国人男性崇拝を苦々しく思っていたのに、自分の目の前でやられたことに憤っていた。大草原でカチンときていたのだ。私は思わず憎まれ口を叩いた。ナラ君がデールという膝まである民族衣装を着てカッコよく帯をしめていたので「デールを着て馬に乗れば、誰だってそれなりにカッコよくみえるに決まってらあ」と言い放ったのだ。「決まってらあ」だって。昔の子供みたいな言い草だが、さわやかナラ君は快くデールを貸してくれた。
着てる途中で気づいてしまった。これは似合わない。スリムに見えたナラ君だったが、実は肩幅がとてもしっかりしていたのだ。私が着ると肩のところがストンと落ちてしまうのだった。袖も思い切りあまってしまう。服を借りてみてつくづくわかった。遊牧民というのは相当にがっしりしていて、手足が長いのだ。
「クークックックッ」
エルカさんが笑っている。
「そんなに面白いことになってますか？」
「いや、似合いますよ。クークックックッ」
「笑ってるじゃないですか！」
「ホント似合ってますよ。クークックックッ」
エルカさんはまた涙を流し始めた。そんなに泣かないでよ、エルカさん。こっちまで泣きたくなるから。
草原で暮らせばものの見方も変わります。例えば、キレイだとかキタナイという感覚もその一つです。次回「黄金の泉」にご期待ください。
|
