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FEAUTURE特 集

ザ特集

埋蔵金伝説 帰雲城のなぞ

18.05.30

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岐阜県白川村に、
室町時代の大地震で
ある城が
黄金とともに
消えてしまったという
言い伝えが残っています。

城の名前は帰雲城。
その埋蔵金伝説に迫ります。

世界遺産、岐阜県大野郡白川村。
そこから、車で約10分。

川沿いの国道を南に進むと...

かつてこの地には、
帰雲城(かえりぐもじょう)という城があったという。

飛騨地方の郷土史、「飛騨鑑」には、
帰雲の峰、二つに割れ、内ヶ嶋、打埋め申し候。
一人も残さず内ヶ嶋の家、断絶。とある。

帰雲城は、1586年に起きた天正の大地震で土砂に押しつぶされ、
内ヶ嶋一族は領民もろとも全て生き埋めになったというのだ。

城跡の石碑も立ってはいるが、実際の場所はわかっていない。

各務原市の野田秀佳さんは、
約10年、城の場所を特定するために調査を続けてきた。

帰雲城には、ある伝説があった。

それが...埋蔵金伝説だ。

「帰雲城が栄えていたのは、
 金銀があったという黄金伝説がある。」
   (白川郷埋没帰雲城調査会 野田秀佳さん)


本願寺第10世、證如上人が書き残した
石山本願寺日記。

その中に、内ヶ嶋氏に関する記述がある。

「石山本願寺に内ケ嶋が金を送っていたという記録がある。
 地元で金を取っていたのか」
   (白川郷埋没帰雲城調査会 野田秀佳さん)


石山本願寺と言えば、室町時代、
あの織田信長に対抗するほどの権力を持っていた一大勢力。

その石山本願寺を経済支援していた内ヶ嶋の資金源となったのが、
この地方で産出した金だったのではないかと野田さんは見ている。

「谷や川で、砂金を採取した可能性が。」
   (白川郷埋没帰雲城調査会 野田秀佳さん)


帰雲城は一体何処にあるのか?
 
そのカギを握るのが帰雲山だ。

「この山が帰雲山。
 昔、ここにお城があったというので
 右岸説を唱える方もいます。」
   (白川郷埋没帰雲城調査会 野田秀佳さん)

帰雲山は、集落の中央を流れる「庄川」の右岸にある。

1746年に書かれた「飛騨軍乱治国記」には、
城の後ろには帰雲山があり
城があった場所をのちに
帰雲川原と呼んだ、と書かれている。

ところが実際には、右岸に川原と呼べる場所は無い。
野田さんが注目したのは、左岸側の土地だった。

「(左岸には)見ると開けた場所があるので
 城や城下町を建てる立地条件はある。」
 (白川郷埋没キ帰雲城調査会 野田秀佳さん)


野田さんの考えを裏付ける資料が、白川村役場で見つかった。

享保年度山林絵図面だ。

古地図には、はっきりと帰雲川原の文字があり、
その場所は、庄川の右岸ではなく左岸だった。

さらに驚く事に、その後ろの山を、
当時、帰雲山と呼んでいた事も分かった。


帰雲城の謎に一歩近づいた。と野田さんは話す。


「さらにもう少し範囲をしぼりたいと思っています。」
   (白川郷埋没帰雲城調査会 野田秀佳さん)

城は川の左岸にあったのか?野田さんが現地に乗り込んだ。

果たしてその地には、一体何があるのか?


はたして何が見つかるのか
続きは31日にお伝えします。

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