FEAUTURE特 集

ザ特集

語り継ぐこと~今語り継ぐべき"記憶"~

18.08.15

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終戦から73年。

当時のことを知る体験者が少なくなる中、
父に打ち明けられた壮絶な戦争体験を語り継ぐ男性がいます。

父の告白からこの男性が伝えたいこととは?



名東区のピースあいちで毎年夏休みに開かれている
戦争体験者による講演会。

戦争を知らない世代が、語り部の言葉に耳を傾けます。

しかし、戦後73年がたち、
語り部たちの高齢化が問題になっています。

「戦争体験者は今では90歳近い方たちばかりなので
 そういうこと(戦争体験を語ること)が難しくなっている。」
      (ピースあいち 河原忠弘さん)
 
そこで2018年から、戦争体験者から聞いた話を語り継ぐ、
「語り継ぎ手」が参加することになりました。

名古屋市緑区の元高校教師、神谷則明さんもその一人です。

語り継ぐのは、父親が所属していた旧日本軍、731部隊の話です。


731部隊は旧満州に設置され、
毒ガスなどの化学兵器や細菌兵器などの開発をしていたとされています。

しかし敗戦直前に施設を破壊し撤退。

戦後もその実態が秘匿されてきた謎の部隊です。


神谷さんが父の実さんと731部隊との関係を疑ったきっかけは、
新聞の切り抜きでした。


「隠れるようにして新聞のを切り抜いている。
 何か731部隊に関係している知り合いでもいるのかと聞いたら...」
                 (神谷則明さん)


わが子にも隠し続けてきた過去。

実さんが神谷さんに告白したのは、戦後40年以上たった1989年でした。

人体実験に関与していたという内容でした。


「100キロぐらい離れた場所で
 捕虜をくくりつけて陶器製の爆弾を落とす。
 すると陶器が割れて、中からノミが飛び出て捕虜を吸血する。
 そんな実験を何度も何度も。
 一般的に捕虜は"マルタ"と呼ばれていたが、父は"ザイリョウ"と言っていた。
 マルタにしろザイリョウにしろ、どちらにしても人間として見なさないという意味。」
                      (神谷則明さん)


告白の中で実さんは、
ノミを使って捕虜にペスト菌を感染させる実験に関わっていたと打ち明けました。

細菌兵器の開発です。

感染した捕虜は隔離され、銃殺や毒殺されたとも語りました。

守り続けてきた秘密を我が子に告白したのは、
贖罪の気持ちからでした。


Q.お父さん自身に後悔や罪の意識はあったのか?

「あの時代は命令に従わざるを得ないのは事実。
 だけど、あんなひどいことをやってきたのは、
 本当に申し訳なかったと言っていた」
               (神谷則明さん)


戦後73年。

父の告白を通じて、神谷さんが語り継ぎたいこととは?


父、実さんの告白から得られた教訓とは
一体何だったのでしょうか?

続きは8月16日です。


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