FEAUTURE特 集
ザ特集
"幻の城"の黄金を追え
18.09.26
戦国時代、
岐阜県白川村を襲った大地震で
帰雲城と呼ばれる城が
黄金とともに消えてしまったという
言い伝えが残っています。
黄金は、どこへ行ってしまったのか。
世界遺産、白川郷。
戦国時代にこの地方を治めていた、内ヶ嶋氏と言う武将がいた。
一族が居城としたのが、帰雲城(かえりぐもじょう)。
この地方に残された「飛騨鑑」(ひだかがみ)には、
1586年に起きた天正の大地震で帰雲城は土砂に押しつぶされ、
内ヶ嶋一族は領民もろとも全て生き埋めになり滅亡したと記されている。
この時、帰雲城に、莫大な量の金が保管されていたという言い伝えがある。
埋蔵金伝説だ。
各務原市の野田秀佳(のだひでよし)さんは、約10年、帰雲城の調査を続けてきた。
野田さんが訪れたのは、岐阜県高山市荘川町。
荘川町は、内ヶ嶋氏の領地の南端にあたる土地だ。
内ヶ島一族と金との関わりを調べるため、地元の住民に話を聞いたところ・・・
「この辺りは、上滝金山、下滝金山、岩瀬金山、
六厩金山、森茂金山とかいっぱいありました。
一番有名なのは六厩金山で、戦国より前からあって、
名古屋城の金のシャチホコは六厩の金で出来ている。」
(寺田商店 寺田俊明さん)
白川郷周辺には、金や銀の鉱山が多く存在していた。
その金山の入り口にあたる集落に造られた砦があった。
荘川町にある向牧戸城(むこうまきどじょう)。
内ヶ嶋一族が、信州からこの地にやって来た際に、統治の足掛かりとして築城したとされている。
内ヶ島一族とこの地方で採れた金との関係について、歴史家の加来耕三さんはこう話す。
「小さい勢力である内ヶ嶋といっても、
ほとんどの人が戦国武将として知らない。
(知られていない武将が)生き残っている。
武田信玄や上杉謙信、後には織田信長がでてくる。
戦国のスターが集まる中に出て生き残ってもいる。
生き残る切り札が何であったか。
鉱山、金銀であった可能性は捨てきれない。」
(歴史家・作家 加来耕三さん)
石山本願寺の證如上人(しょうにょしょうにん)が残した日記にも、
当時本願寺が内ヶ嶋氏から経済援助を受けていたとの記述がある。
さらに地元には、こんな言い伝えもある。
「山奥に上滝という滝があり、
川の砂を(山から)樋(とい)を使って流し、荘川の町で金を取った。」
(元荘川小学校校長 渡邊正範さん)
伝承が事実なら、内ヶ嶋氏は砂金を精製する技術を持っていたことになる。
野田さんは、内ヶ嶋氏の領内で砂金が取れるのか、調査する事にした。
向かったのは、帰雲城と向牧戸城の間にある庄川の支流だ。
砂金の調査開始から1時間。
砂金は採れたのか?
続きは27日です。