FEAUTURE特 集

ザ特集

論争 桶狭間 義元公が討たれた場所は?

19.05.30

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桶狭間の戦いで
今川義元はどこで
討ち取られたのか?

この謎を巡る
名古屋市緑区と豊明市の
論争に決着はつくのでしょうか?

桶狭間の戦い。

織田信長がわずか3000の軍勢で奇襲をかけ、
今川義元の大軍を打ち破ったとされる戦いです。

しかしこの有名な合戦には、
いまだに大論争が続いている謎があります。

奇襲をかけられた義元公がどこで討ち取られたのか?
わかっていないのです。

今川軍の本陣があったとされる場所には2つの説があり、
一つは名古屋市緑区。もう一つが豊明市です。

緑区の説を唱えるのは、
桶狭間古戦場保存会の梶野泉さんです。

文献では、義元公の本陣は、
桶狭間山という山の北側にあったとされています。

さらに緑区では、
義元公のものとみられる墓石も発掘されています。

一方、豊明説も譲りません。

「これが我々が言っている桶狭間山。」
(豊明市ボランティアガイド 堀田忠夫さん)

豊明市のボランティアガイド、堀田忠夫さんは、
桶狭間山は豊明市側にある山を指していると主張。

義元公が亡くなった場所を示しているとされる石碑もあると主張します。

「この辺で本陣があったために、ここで(義元は)死んだ。」
(豊明市ボランティアガイド 堀田忠夫さん)

互いに譲らない緑区と豊明市。

毎年6月の桶狭間古戦場まつりも、
それぞれ違う日にちに行います。

ただ豊明市と緑区のとの論争のおかげで、
歴史ファンの注目もより高まったといいます。

取材したのは、豊明市の和太鼓サークル。

209年豊明市の古戦場祭りに参加します。

参加しているのは豊明市民だけかと思いきや、
メンバーの中にはこんな少年も。

「緑区の区民なんですけど、
 緑区の人は(合戦が)緑区と言う。
 豊明の人は豊明で(合戦が)あったと言う」
(緑区の少年)

Q、きみは?
 「豊明派です」
(緑区の少年)

「将来的に名古屋市と豊明市が一緒に
 イベントをやると言えば、良いことだと思います」
(豊明太鼓双峰会代表 大倉野守さん)

19日に名古屋市緑区では、
桶狭間の戦いの戦没者慰霊祭が行われました。

合戦の翌年から続いていて、今年で459回目とされています。

参列者をよく見ると・・・その中にまさかの人物がいました。

豊明市のボランティアガイド、堀田さんです。

最近は、豊明市側の関係者もこの慰霊祭に参加するようになりました。

対立ばかりではなく、緑区と豊明市が互いに協力し合って
観光客を増やしていこうという考え方に変わってきたからです。

「緑区に来たお客さんは豊明にも来る。
 豊明(に来た)人も緑区を見たい。
 それでい良いと思うんです。
 だけど言い分は違うんですよね。だから面白いんです」
(豊明市ボランティアガイド 堀田忠夫さん)

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