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FEAUTURE特 集

ザ特集

碧南の左官職人の"長七たたき"

19.07.30

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明治時代、碧南市出身の左官職人が
ある建築資材を発明しました。

その名は「長七たたき」。

その性能から全国の工事現場で使われ、
当時の日本の近代化を支えたと言われています。


服部長七。

碧南市出身の左官職人で、
彼が明治時代初頭に発明したのが・・・
この「長七たたき」。

砂状の花崗岩と消石灰を水で練って固めた人造の石です。

御所や大久保利通の邸宅の工事などを手掛けていた服部長七が
「長七たたき」を発明したのは1876年。

水道工事の際に、泥の中から偶然、
石のような塊を見つけたのが始まりでした。

そこから試行錯誤を繰り返し
ようやく完成したのが「長七たたき」です。

当時はすでにコンクリートが国内で流通していましたが
高価な割に質が悪いのが問題でした。

そこで安くて水に強い「長七たたき」が治水工事で使われ始め、
瞬く間に全国に広まったといいます。

広島港など国のインフラ整備にも長七たたきが使われました。
その服部長七の末裔が、岡崎市の「岩津天満宮」にいました。

「明治の初頭ですから西洋の文化を
 どんどん取り入れて
 日本も立派に成長していく階段であった
 土木・千干拓・港河川に服部長七の
 人造石(長七たたき)工法が役に立った
 本人は国のためなら損をしてでも
 仕事を受けるということで
 誠心誠意仕事をやってきた」
(岩津天満宮 服部憲明宮司)

12日。
碧南市内で「長七たたき」を使った堤防が発見されました。
服部長七の出身地で見つかったのはこれが初めてです。

「これが施工されたのが明治34~35年頃
 全体がこの状態できれいに残っていて
 本当に感激しました」
(産業考古学会 天野武弘会長)

「長七たたき」が使われているのは、
大きな石と石との隙間を埋めているこの部分。

ゆっくりと固まる長七たたきが隙間を埋めることで、
非常に頑丈で強固な石垣になると天野さんは話します。

さらにこの石垣、今でも進化を続けているといいます。

「消石灰は空気中で炭酸ガスを取り込んで硬化していく
 100年経っても硬化を少しずつし続けている」
(産業考古学会 天野武弘会長)

そして他にも特徴が。

「これが100~200年後に崩れたとしても
 おそらくこの土は自然界に戻っていく」
(産業考古学会 天野武弘会長)

環境にやさしい性質が認められ
1999年には、カンボジアの世界遺産アンコール遺跡の
バイヨン寺院・修復にも使用されました。

明治時代に服部長七が生み出した、長七たたきが、
時代を超え、海を越え、改めて見直されたのです。

「土が主成分ですから草がいっぱい生える自然に優しい
 これはもう一度見直すべき工法だと思う」
(産業考古学会 天野武弘会長)

残したいものは、ほかにもあります。

「服部長七が明治時代 日本が産業革命の時代に
 "果たしてきた大きな役割""国を想う人間性"を
 今の若い人たちに知ってほしい
 日本の将来のために役立ってほしい」
(岩津天満宮 服部憲明宮司)


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