FEAUTURE特 集

ザ特集

伊勢湾台風60年 父が残した"737枚の写真"

19.09.25

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伊勢湾台風の上陸から26日でちょうど60年です。
父親が遺した737枚もの被災地の写真を大切に保管し、
伊勢湾台風の記憶を後世に伝えようと活動する男性がいます。


1959年9月26日。紀伊半島に上陸した
伊勢湾台風は、勢力を保ったまま日本を縦断。
全国32の道府県に被害を及ぼし、
死者・行方不明者の数は5000人以上。
その大半が愛知・岐阜・三重に集中したとされている。

「就寝近くなった時には、物すごい風が吹き出して、
 その時の様子といったら、恐怖以外にはもうない、
 表現できないんじゃないかと思いますね。
 屋根が本当に波打つように揺れていました。」
               (吉田 誠さん)

吉田誠(よしだ まこと)さんは当時中学2年生で
岐阜県可児市に住んでいた。
今もあのときの光景が目に焼き付いている。

「私の家の裏に氏神様・神社がありまして、その中に
 神木として大きな大きな松の木があったんですが、
 そうした木がなぎ倒されてしまっておりまして、
 いつも見てる風景・景色と全く変わっていた。
 拝殿も瓦が飛んでしまったり、
 いろんなところが傷んでおりまして、
 本当に悲しい思いだった。」
         (吉田 誠さん)

吉田さんが古いアルバムを取り出した。
開くと、そこには白黒写真が並んでいた。あわせて737枚。
高潮に浸かった街の様子や
行方不明者を捜索する警察官が写っている。


アルバムは、吉田さんの父親で、当時、
愛知県警港警察署に勤務していた宮一(みやいち)さんが、
捜査資料として管理していたものだった。

明治以降最大といわれる台風の被害が生々しく遺されている。

この写真は
父、宮一さんが単身赴任で住んでいた警察官の公舎。
週末には、吉田さんも何度も足を運んだ場所だという。

「約1カ月くらい水に浸かっておりました。天井を見ますと、
(天井から)約10センチくらいのところまで水がついた跡が残りまして、
 父親も大事にしていたものは全部ここで失くしてしまいました。」
                      (吉田 誠さん)

こちらは岸壁に打ち上げられたラワン材。
高波で打ち上げられた巨大な丸太が
凶器となって町を襲ったという。

「この時のラワン材は流れていくんじゃなくて、
 水車がまわるように、家をなぎ倒しながらバリバリと流れていった、
 ラワン材による被害は大変だったということは聞いております。」
                   (吉田 誠さん)

こちらは港区築地口の様子。
この写真を見に、吉田さんの元を訪れた人がいた。

「(この写真を見て)
 「あ!これが父親だ!これお袋だ!これお姉ちゃんだ!」
 という方がお見えになりまして、
 この近くにお住いの方で布団屋さんを商いされている方で
 商品が全部ダメになってしまって大変な被害だった。」
               (吉田 誠さん)


吉田さんは9月、父が残した写真の展示会を開いた。
2018年に引き続き2度目の開催だ。

しかし展示するのは2019年限りにしようと考えていた。
伊勢湾台風60年、父が遺した写真への吉田さんの思いとは。


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