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FEAUTURE特 集

ザ特集

アートの島に残る歴史遺産とは?

19.12.03

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『アートの島』として近年人気が高まっている佐久島。

今、知られざる歴史遺産を持つ島として、
その価値を守ろうという活動が行われています。


波をかき分けて進む船。

長靴姿の客が多いが、
釣り客...、にしては釣り道具がない。

見えてきたのは、三河湾に浮かぶ佐久島だ。

佐久島といえば、
近年、アートの島として人気上昇中。

SNS映えするスポットは、観光客で賑わう。
そんな佐久島に船は到着。

長靴姿の一団も上陸だ。

海辺やアートには目もくれず、
山中を黙々と歩く。

到着した場所は、草木の生い茂る原っぱだ。

みな鎌やはさみを手に、一斉に草を刈り始めた。
すると藪の中から何かが姿を現した!

人工的な石積みに囲まれた穴。
遺跡発見か!?

「こっちまわってもらうと...」

茂みに案内してくれたのは、
文化財の学芸員歴20年の三田敦司さん。

西尾市内の古墳の研究をしている。

「ここは平古古墳群といいまして7基の古墳が集まっていて
 (佐久島で)一番密集している古墳群です」
(西尾市教育委員会
   文化財担当学芸員 三田敦司さん)

現在佐久島では40基以上もの古墳が見つかっている。
7世紀、有名な大化の改新のころにつくられたものだ。

草を刈っているのは、
「島を美しくつくる会」の約80人。

島の外からのボランティアと
地元の小中学生が、年に1回汗を流す。

「毎年やってます 4回目です」
(地元の小学生)

佐久島の古墳は53年前に
一度調査が行われたが、
その後は荒れ放題になっていた。

貴重な文化遺産を残そうと、20年前から
草刈りなど保存の取り組みが行われている。

佐久島の古墳にはだれが埋葬されたのか?

「(佐久島は)三河湾と伊勢湾の真ん中にあるので
 当時交通路の航海を担うような
 海をなりわいにする人たちが島に住んでいて
 有力な人たちがこの古墳を作ったと考えられる」
(西尾市教育委員会
   文化財担当学芸員 三田敦司さん)

佐久島は、海をはさんで伊勢に近い。

当時は大和朝廷があった飛鳥地方と東国を結ぶ
交通の要衝だったのだ。

かつての佐久島の住民は船を使って
三河湾、伊勢湾を行き来しながら
海運業で豊かな暮らしをしていたようだ。

ここは島の西に位置する山の神塚古墳。

大きさなどから
島内屈指の実力者の墓とみられている。

山の神塚古墳から出土した副葬品。
手にしていた富の一端がうかがえる。

調査再開のため、地元の協力は欠かせない。

「佐久島の古墳を維持できたらいいなと
 思ってがんばりました」
(参加した中学生)

「島に遊びに来る子どもたちのために
 古墳を兼ねた公園ができるとありがたい」
(島を美しくつくる会 筒井一雄さん)

西尾市では2020年2月から、54年ぶりに
古墳の調査を再開してゆく予定だという。

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