大学1年の秋からコミュニティラジオで構成作家のアルバイトをしています。始めてから半年間は、立ち上げた番組が打ち切り続きで「自分は才能がないんだな」と何度涙を流したか分かりません。プロデューサーやパーソナリティと何度も打ち合わせを続け、自分が立ち上げた番組が放送1周年を迎えることができた際にも、また涙を流しました。泣いてばかりの学生生活です。
正直に言うと、あまりキラキラした学生生活は送れていません(笑)。サークルにも入っておらず、長く続けたアルバイトはありませんでした。ただ今思えば、自作のエンタメ動画をSNSに投稿したり、ソロアルバムを作ったり、オリジナルボードゲームを作ったりと、色々な創作と向き合えた4年間だったので、充実はしていたのかなと思います。
サークルとアルバイト三昧の毎日でした!サークルはダンスサークルで、アルバイトは球場の売り子と飲食店のキッチンでした。全部「楽しい」という理由でずっと打ち込んでいました。(もちろんアルバイトに関しては稼ぎたいという思いもありましたが…笑)
あとは女性アイドルのライブに足しげく通ったり、アニメを見たり、食べることが好きなので美味しいお店巡りをしたりしていました。もちろん友達ともたくさん遊びに行ったり、よく飲んだりしていました!
大学3年生の6月から就活を始めました。新聞社・テレビ局をまとめると、17社エントリーしました。
3年生の夏くらいからで、エントリーシートは20社くらい出したと思います。10月頭に「テレビ局の本選考はいつからだろう?」と調べたら、2週間後にキー局の本選考!血の気が引きましたね(笑)
大学二年生の秋からアナウンススクールに通い始め、大学三年生の春からインターンシップのエントリーシートを提出し始めました。
エントリーシートは、インターンシップは30社ほど、本選考は50社ほど提出しました。(アナウンサー職と総合職を両方出した会社もあります)
ありがちな理由かもしれませんが、本当にテレビが好きだったからです。また、番組を1から作り上げる快感を知り、生業にしたいと考えたからです。多くの人が見て意見をくれる場に身を置きたいと考えたのも理由の一つです。
「陽の目を見ないものに光を当てたい」という思いです。陽の目をみないものと一概にくくるのは難しいですが、フォークソングやボードゲームといった「予定調和」から逸脱したカルチャーに僕は夢中になってきました。自分の知りたい情報だけを手に入れられるSNS時代になって、多くのマイナーコンテンツが目を向けられないまま散っていく…、そんな事態を防ぎたいと切に思いますし、幅広い世代の関心事であるテレビなら、きっと「陽の目を見ないもの」の面白さを多くの人に伝えられると思っています。また、「笑って仕事したい」という側面もありました。人を楽しませるのが好きな人が集まるテレビ業界なら、毎日笑って仕事できそうだなと思い、志望度がより高まりました。
最初にアナウンサーを目指し始めたことがきっかけです。アナウンサー志望としてテレビ局の説明会やインターンシップに参加するうちに、その他の職種にも興味を持ち始め、大学三年生の夏からアナウンサーに限らずテレビ局総合職全体を視野に入れるようになりました。
自己分析を重ねるうちに、自分は人を楽しませることや人に良い影響を与えることが好きだということ、また、自分は「好きなこと」に対してとことん頑張れる性格だと気づいたので、影響力が強く、人々を笑顔にさせることができ、自分の「好き」に関わることが出来るテレビ業界を目指していました。
エントリーシートは、とにかく締め切りの2日前までに書き上げることを意識してしました。テレビ業界を目指しているなら、「とりあえず、キー局・在阪局・在名局のインターンシップに全部出そう」といった感じで、目標を決める→締め切り2日前には書き上げて、先輩や同期に見てもらう→締め切り当日の朝にもう一回推敲するというループを繰り返していました。先輩、同期、キャリアセンターの声をきくことが、一番効率の良い方法だと思います。
面接は、自分の言葉で話すことを意識していました。エントリーシートに記載した文章を丸暗記して発表するのではなく、いかにその場で言葉を紡げるかが重要だと思います。受ける⇒落ちる⇒どこが悪いかを分析する⇒改善できるよう努力した上で、再度受ける⇒落ちる⇒落ちた理由が分からない、改善する方法が分からないならキャリアセンターや先輩にアドバイスを求める⇒アドバイスの中で自分に合う部分だけを拾い、試してみるを繰り返していれば、自然体で話せるように成ると思います。前日にしっかりと睡眠を取ることも大事です。
せっかくなので、今日から即使える?マル秘テクを教えちゃいます。エントリーシートは"読ませる文章かどうか"が全てだと思います。人事の方は何百通ものエントリーシートを読まれるので、出だしの文章で引きつけるべきですし、一文も長すぎない方がいいです。僕は「サブカル旋風を日本中に巻き起こしたい」と出だしに書いていました。どういうこと?と興味を惹いた時点で勝ちだと思います(笑)。面接は「印象に残ること、熱意を伝えること」のバランスをとにかく意識していました。紙芝居で自己紹介したり、バックに大好きなボードゲームを忍ばせたりと印象に残るための策も用意しつつ、志望動機やなぜテレビなの?といったウェイトの高い質問には、1段階ギアを上げて熱意を伝えました。「ここはギアを上げるべきか?」と常に自分に問いかけながら面接に臨むとうまく行くと思います!
とにかく自分らしさを伝えられるように意識していました!エントリーシートでは、「実際に会ってみたい」と思ってもらえるように、あえてすべてを書ききらないようにしていました(例えば「これを実現するために、ある3つの工夫をしました。その結果…」のように、大事なことは明言していませんでした)。面接では、もう耳にタコができるほど聞いたかもしれませんが、やはり自分を偽らずに話すことが大切だと感じました。あとは笑顔で、ハキハキと!
中学3年生から毎週見続けている『乃木坂工事中』の制作にいつか関わりたいと考えたからです。いつか「絵のない展覧会をやりたい」という自分の夢を、面接中一番おもしろがってくれたからです。また、高校時代に親友と行き倒した大須観音に本社があるのも決め手の一つです。
一番自分に対して真摯に向き合ってくれる会社だったからです。面接官の方が事前に僕の作った動画を見てくださっていたり、動画を伸ばすための施策について様々な角度から質問してくださったりと、自分をクリエイターとしてリスペクトしてくださる姿勢がひしひしと伝わってくるものでした。本当に嬉しかったです。極め付けは、最終面接の際に、社長が自分の名前の由来を聞いてくださったことです。名もなき就活生Aとして扱われることが多い面接の中で、「1人の人間」として接してくださる社長の人柄に触れ、「絶対にここに入りたい」と気持ちが昂ったのを覚えています。そんな温かく、自分に対して真摯に向き合ってくれる社員がたくさんいるということが1番の決め手でした。
面接時に一番素を出せて話せたからです。一次面接から最終面接まで、ありのままの自分を見てもらえた感じがしました。また、内々定者として懇親会やイベントに参加させてもらった際、社内の雰囲気の良さを体感したことも決め手です。人事の方を始め先輩社員の皆様はとても優しく接してくれました。また、社長との距離も近く、イベント見学の際に偶然お会いしたときにはツーショット写真を撮ってくださいました!
めちゃくちゃ緊張するし、めちゃくちゃ寝られなくなるし、「自分はどこの会社にも受け入れてもらえないのではないか」と不安になることもきっとあります。でも、挑むことが大切だと思います。やらない後悔よりやる後悔という言葉があるように、どんどん挑戦していきましょう。頑張ってください。
就活中は特に「あの時こうしておけば」と何度も思うかもしれません。でもどんな道に行ったとしても、これからその道を正解に変えられるから大丈夫だと思います。もし道の先でテレビ愛知に入ることになったら、一緒に飲みに行きましょう。
就活は辛く苦しいことが多いと思います。しかし、頑張り続けていれば必ずあなたを良いと思って見つけてくれる会社があるはずです!私自身、インターンシップでも本選考でも何十社と落ちてきましたが、最終的にはテレビ愛知との素敵なご縁に恵まれました。しんどくなったら、友達と遊んだり、思いっきり自分の好きなことをしたりしてリフレッシュして、自分が納得いくまでとことん頑張ってください!応援しています。