知床から釧路への移動に半日かかり、ホテルの部屋に入った時にはもう夜になっていた。テレビをつけて驚いた。台風14号が九州に接近していた。えーっ!もう少し西の方に行くんじゃなかったの?しかもこの台風は強風域が広いのが特徴で、雨、風ともに広い範囲に影響が出る恐れがあるという。名古屋に帰るのはあさっての予定だったが、一日早めた方がいいのではなかろうか?夜の釧路の街に繰り出すこともなく、ウジウジと悩む。結論を出したのは翌朝。午前中だけバスツアーに参加して、午後の便で名古屋に帰ることにした。
釧路湿原には展望台が何ヵ所もある。そのうち3ヵ所をめぐるツアーだった。見渡す限りの地平線とダイナミックに蛇行する川。確かになかなかお目にかかれるものではないが、そればっかりでもねー。昨夜ウジウジ悩んでよく寝ていなかったため、バスの中では寝てばかりいた。せっかく今回参加したバスツアーの中では唯一の女性バスガイド、しかも結構かわいかったにもかかわらず。「雨がポツラポツラ降ってきましたねー」なんて言うのを「へえー、ポツラポツラって言うんだー」とウツラウツラしながら聞いていた。
唯一、私の心を激しく揺さぶったのはアイヌの人々に伝わるシマリスの話だった。
「シマリスの背中には5本、シマが入っていますけど、これはクマの爪の跡だそうです。クマとシマリスは大の仲良しで、クマが『カワイイカワイイ』とシマリスの背中を撫でた時に爪の跡がついちゃったそうです。カワイイお話ですよね」
女の子の「カワイイ」の守備範囲の広さには驚かされる。まさに神出鬼没だ。どこに出てくるかわからない。この話のどこがカワイイというのだろうか。私の脳裏にきのう目撃したクマの爪の跡が浮かんだ。シマリスは死ぬほど痛かったに違いない。それでも権力者のクマには文句も言えないのだ。
「あれ?血出てるねー。痛かった?」
「いや、全然痛くないっス」と言いながら脂汗をタラタラ流すシマリス。巣に帰るとドサッと倒れ込むのだ。驚いて駆け寄った妻リスは、夫の背中の傷を見て誰の仕業か一瞬にして悟る。
「あなたぁー、後生ですからクマさんなんかとつき合うのはもうやめて下さいっ!(泣)」
「バ、バッキャロー!俺たちみてえに弱いもんが、キタキツネやワシどもから身を守るにはクマさんにすがるしかねえだろうがー」
そんな夢をみていたら、バスは釧路空港についた。
中部国際空港に降り立つと、雨は降っておらず、とくに風もなかった。「一日早める必要なかったのかなあ」またウジウジ悩む小さな男。北の大地の大きさに触れても変わることはなかったのだった。
おしまい