オランウータン同様、ボルネオにしか生息していないのが、テングザルである。午後からこのテングザルを見に行く日本語ガイドつきツアーに参加した。熱帯雨林の間を流れる川をボートで下るツアーである。
私は15年ほど前、浦安にあるテーマパークのジャングルクルーズというアトラクションでアルバイトをしていたことがある。「ハイッ、みなさんこんにちは!私がこの船の船長です」というコメントから始まるアレである。作り物ではない、本物のジャングルクルーズを体験してみたいというのも、このツアーに申し込んだ理由の一つであった。
「テングザルが見られる確率は40%ぐらいです。雨が降って涼しくなると、もっと確率は高くなります」
現地ガイドのカルーさんが、流暢な日本語で解説してくれる。ボートの船着場まで車で2時間。到着直前に雨が降ってきた。さほど強い雨ではないし、ボートには一応屋根がついているので、このぐらいの雨ならちょうどいいだろう。私を含め12人がボートに乗り込む。私は真っ先に一番前の席を確保した。ところが、他の客は私から距離を置いて、後ろの方から座っていく。何で?何で遠巻きにするの?一人旅の中年は不気味だから?それとも一人だけテンション高いから?答えは、前の方には屋根がついていないからだった。視野せめー!一番前に座ることしか考えてなかったよ。ズカズカ一番前に座った手前、今さら屋根の下には移動できない。バッグからレインコートを出して着込む。
午後5時、いよいよ出発だ。ボートがグーンと加速していく。雨粒がバシバシ顔にあたる。浦安のと違って、本物のジャングルクルースはかなりスピードを出すんだなーと身をもって感じた。
川幅は100mぐらい、水は茶色く濁っていて、中の様子はまるでわからない。流れも高低差もないので、川を下っているのか上っているのかもわからない。両岸にはマングローブなど背の高い木が生い茂っている。カルーさんが一本の木を指差す。
「いましたね」
あっけなく、早々とテングザルが見つかった。運転手がボートのスピードを落として旋回、ゆっくり岸へ近づいていく。樹上ではテングザルが枝から枝へ飛び移ったり、葉っぱを食べたりしている。一番大きいのがオスのテングザルだ。巧みな操縦でギリギリまで近づいても、高い枝にいるので距離がかなりある。望遠鏡で見てみたら、真っ赤な顔をして怒っていた。もともと赤いんだろうけど・・・。顔が赤いところはまさに天狗だが、鼻は天狗ほど前に突き出していない。やや垂れ下がっている。年をとるともっと垂れ下がり、食事の時には手で鼻をよけながら食べるらしい。芥川龍之介の小説「鼻」の主人公、禅智内供みたいだ。老け顔だし。それにしてもそんなに怒らなくてもいいのにと思った。テングザルは保護されているわけだし、ボートで見に来る客は絶対テングザルに手を出さないことぐらい学習してもよさそうなものだ。所詮サル知恵しかないということか。
一通り見たところで再びボートは発進し、またサルを見つけたところで岸に近づいて停船するということを何度も繰り返し、かなりの数のサルを見ることが出来た。テングザルのほかに、カニクイザルやシルバーリーフモンキーにも遭遇した。シルバーリーフモンキーはベッカム猿とも呼ばれている。頭の毛の中央の部分が逆立っていて、2002年のワールドカップの時のベッカムの髪型にそっくりなのだ。当時ベッカムの髪型を競うようにして真似した日本人の姿をニュースなどで目にしたボルネオの人たちはきっと「うわー、猿真似ー」と思っていただろう。
いつのまにか雨はやんでいた。流れのない川が鏡のように空を映す。こんもり繁った熱帯雨林の黒い影、同じようなシルエットでモコモコ膨らんでいる入道雲の白、そして空の明るいスカイブルーが水面のキャンバスに写し取られている。そこへ夕陽のオレンジが加わって、どんどん表情を変えていく。「いいよー!いいよー!」と言いながらシャッターを切り続けた。
日が暮れたところでボートはUターン、カルーさんがライトを持って船首に立った。
「私は今からクロコダイルハンターになります」
ライトを水面にあてて、ワニを見つけ出そうというのである。私も手伝おうと、すぐそばに身を乗り出して目をこらした。でも、すぐやめた。ライトめがけて飛んできた虫が、顔にバシバシ当たってかなわない。後退して帽子を目深にかぶった。
やがて周りは真っ暗になり。ライトが当たっているところ以外何も見えなくなる。突然ライトが消えた。あれ?もうワニはあきらめたのだろうか。
「メリー・クリスマス」
暗闇に一本のクリスマスツリーが浮かび上がった。一本の木に無数のホタルが群がっていたのだ。小さな小さな光がせわしなく点滅し、飛び回っている。辺り一面に飛び交うのではなく、一本の木だけが光に包まれていた。一箇所に集まったほうが、交尾相手を探すのに都合がいいのだろう。ホタルたちのダンスパーティー、求愛の舞踏会がこの木を会場に開かれているのだ。
そんなホタルのクリスマスツリーを何本か見て、ボートはスタート地点の船着場に戻った。往復2時間、45kmのクルーズだった。結局ワニは見られなかったが、十分満足だ。ガイドのカルーさんがホタルの木を見つけてライトを消すたびに、目をこすっていたのを見た。相当虫が目に入ったのだろう。それだけ頑張ってくれたのだ。マレーシアの人は真面目なのだなあと思った。今マレーシアが急激に経済成長を遂げているのも、こんな真面目な人が多いからかもしれないなと思ったりした。
つづく