次の目的地は「さびしんぼう」の主人公、ヒロキが住んでいた西願寺である。距離があるので、車で移動する。
われわれが現地で手に入れた「尾道ロケ地マップ」を制作したのは大林監督と、尾道三部作で美術監督を務めた薩谷和夫さんである。大林監督によれば、この地図は「迷子になってもらうために作った」そうである。大体の位置関係は把握できるのだが、どの道を通れば目的地にたどりつけるかがまるでわからない。「ルートをはっきり明示してしまうと、みんな同じ道を通ることになる。それではみんなが同じ旅をすることになってしまってつまらない」というのである。
大林監督の狙いどおり、車を運転した山根と助手席の大久保は、細く入り組んだ尾道の路地で何度も迷い、大変な苦労をした、らしい。後部座席の私は、乗り込むなり深い眠りに落ちており、気づいたときにはもう西願寺であった。
車を停めて、坂を登っていくと、寺に続く小さくて急な階段があった。大久保が走り出し、階段に腰をかけた。
「ああっ!ここは・・・」
この階段は富田靖子さん演じるさびしんぼうが、クライマックスのシーンで雨に濡れながら座っていた階段だったのだ!もともと私と山根によって大林ワールドに引きずり込まれた大久保だったが、今回の旅に向けて相当予習してきたようだ。「くそー、大久保に先を越されるとはなー」なんていう会話を交わすのも楽しかったりして、あらためて自分たちが完全にマニアの域に達していることを発見する。
階段を登ると、境内には鐘があった。これもただの鐘ではない、ヒロキのお母さんが「ゴキブリ、ゴキブリ」と大騒ぎしてぐるぐる走り回った鐘だ。このように西願寺はファンにとってはたまらないところだったが、尾道のメインとなる観光名所から距離があるせいか、われわれ以外に観光客の姿はなかった。観光地という雰囲気もない。
「お墓参り?」
住職さんが声をかけてきた。かなりご高齢の方である。
観光なんかで来てよかったのかしらん、と恐る恐る答えると予想外の言葉が返ってきた。
「せっかくだから、鐘を突いて行きなさい」
「えーっ、いいんすかー!」
尾道は本当に観光客に優しいところだ。一人一回ずつ突かせて頂いた。午後2時40分。まったくわけのわからない時間に鐘が3回鳴り響いた。大感激である。私は今、あのゴキブリの鐘(すいません)を鳴らしている。しかも、その音は憧れの尾道に響き渡っているのだ。
住職さんにお礼を言って別れ、さらに奥に進む。この寺にはもう一箇所回っておきたいところがあった。墓地である。ここはヒロキがおばあちゃんに認知症防止のための指の運動を教えていたところなのである。観光客のわれわれが墓地まで足を踏み入れていいのかしらんという躊躇もあったが、ここまで来たら、やはり見ておきたい。
瀬戸内海、尾道水道が見渡せる墓地で「尾道と映画とさっちゃんはよく似合う」という墓碑銘を見つけた。大林監督がしたためたものである。ここにはあの薩谷和夫さんが眠っておられたのだ。薩谷さんは東京出身であるにもかかわらず、この尾道に眠ることを希望されたそうである。それほど尾道を愛しておられたのだ。われわれも尾道マニアの先輩に手を合わせた。
ここまで愛される尾道の魅力とは何だろう?尾道はよく「初めて訪れた人でも懐かしさを感じるところ」と言われているが、そこに私なりに一言付け加えさせていただくと、その懐かしさはホンワカした懐かしさではなく、胸がキュンとしめつけられる懐かしさである。失われてしまったものに対する切なさを感じるのだ。やはり「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」という思春期の少年少女を描いた映画の力が大きいのかもしれない。もう帰れないもんなー、あの頃には。我々は「時をかけられない中年」であるからして。
合掌していたら、さきほどの住職さんが通りかかった。ほんのわずかな時間の触れ合いだったが、住職さんは別れ際にこうおっしゃった。
「ワシがまだ長生きしとって、またあんたらがここに来ることがあったら、そん時また会おうや」
「ハイッ!」
元気に声を揃えて返事するわれわれ。まるでリトルリーグの少年たちのようであった。気持ちのいい「ハイッ!」が墓地にこだました。何も気の利いたことを言えないわれわれは、精一杯の好意を「ハイッ!」に込めたのだ。住職さんの背中を見送るわれわれの心の中では、富田靖子さんが歌うさびしんぼうのテーマが流れていた。♪さ~よなら~、あなたに~出会えて~嬉しか~った~
つづく