盛岡駅の構内には七夕の笹が飾られていて、東北地方の復興を願う人たちがしたためた短冊が揺れていました。
中には地元の保育園の園児たちが書いたものもありました。
組ごとにまとめて枝につけられていて、どの組の子が書いたかわかるように短冊よりはるかに大きな紙に組の名前が書かれていました。
「ぶたにく組」
えっ!普通、保育園の組の名前って花とか動物の名前じゃないですか?
さらに、「じゃがいも組」。
「すぷーん組」もありました。
このときは何でこんな名前にしたのかわかりませんでした。
何しろ朝の5時45分でしたから、ボーッとしてたんです。
そんな時間に、関東や関西、遠くは広島や長崎から29人が集まりました。
ボランティアツアー、出発です。
3時間ほどバスに揺られて陸前高田市に到着。
内陸部はあまり震災の影響は見られなかったのですが、あの日津波がさかのぼった川沿いに瓦礫が現れ、海に近づくにつれてどんどん増えていきます。
膨大な量です。
それでも1ヶ月前にも来た人に言わせれば「だいぶ作業が進んだところもある」そうですが・・・・。
この日の作業は田んぼの瓦礫の撤去でした。
海はまだ見えないし、川からも距離がありました。
あの日、川をさかのぼる波と、さかのぼって戻ってきた波とが巨大な水柱を上げてぶつかり、横に流れた水が川から何百メートルも離れたこんな場所まで襲ったそうです。
釘の付いた木材、捻じ曲がった鉄骨、道路のアスファルトの破片、ガードレール、タイヤ、テレビ、エアコン、掃除機、炊飯器、便器、エアコン、アイロンなどが散乱していました。
当初地元の人たちが4、5人で撤去に取り掛かったものの、「これは到底無理だ」と、ボランティアセンターに作業を依頼したそうです。
瓦礫の中で時々見かけるカエルだけが、ここが田んぼだったことを気づかせてくれます。
2mほどの小さな水溜りではオタマジャクシが泳いでいました。
カエルも頑張ってるんだなと思いました。
数百メートル向こうの小学校では運動会が開かれていました。
ずっと延期されていて、やっと開くことができたそうです。
スピーカーから男の先生の声が響いていました。
「走れぇーっ!」
頑張れ、東北。
作業を終え、バスに戻りながら見渡すと、自分たちが作業をしたところがハッキリとキレイになっていました。
バスに乗りこんだ私たちに、地元のお父さんが笑顔で手を振ってくれました。
来てよかった。
宿で食べたカレーがやたらにおいしく感じられました。
何てことないカレーなんだけどなー・・・・豚肉・・・・ジャガイモ・・・・・手に持ってるのはスプーン。
そっか、カレーつながりだったのか・・・・。
相澤アナ!
なんだか胸がじーんとしてしまいました。
ボランティアお疲れ様でした。
被災地の子どもたちっ!がんばれっっ!
しかしー。豚肉組って(笑)