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2006年07月 バックナンバー


2006年07月03日

何もない週末

洗顔スクラブを歯磨き粉と間違えた朝、地下鉄に乗り、ふと気付くと、降りるはずの駅を過ぎていた。

慌てて次の駅で降りたら、車内に傘を忘れてしまった。

そんな状態で一日が過ぎた。定食屋さんで、醤油と間違えてソースを冷奴にかけた夕食をとり、帰宅すると、玄関に地下鉄に忘れたはずの傘が立てかけてあった。最初から持っていかなかったのだ。

ヤバイ。なんだかものすごく疲れているみたいだ。あすのにちよう日はねてよう日にしよう。

ところが、翌朝6時30分に起こされた。隣の部屋で目覚まし時計のアラームが鳴ったのだ。私の眠りはとても浅い。たとえ、マンションの隣の部屋だろうと、アラームが鳴ればすぐ目を覚ましてしまう。

それなのに、隣の住人はちっとも目を覚まさない。アラームは延々と鳴り続けた。計17回も「ピピーッ」という音が繰り返された。さらに、5分後12回、さらに5分後19回も鳴った。さすがにもう起きただろうと思ったら、30分後、また鳴り出した。

二度寝しやがったのだ。こっちは仕方なく起きて、部屋の掃除だの、洗濯だの始めているのに!

しばらくすると、今度は携帯電話の着メロが聞こえてきた。きっときょうの待ち合わせ相手からだろう。ざまーみろ、遅刻だ。着メロは中島美嘉さんの「雪の華」だった。真冬の曲ではないか。季節的にも大遅刻だ。

またしばらくすると、別の着メロが聞こえてきた。待ち合わせの相手は一人じゃないのだろう。今度の曲は「アヴェ・マリア」だった。やはりクリスマスあたりから隣の住人の季節は止まっているようだ。あんな安らかな曲で目が覚めるわけがない。その後隣の部屋では「雪の華」と「アヴェ・マリア」が交互に鳴り響いたのだった。

一方、私はすでに部屋の掃除と洗濯を終えていた。それでもまだ9時前だった。特に買いたいものがあるわけではなかったが、バーゲンセールに行くことにした。

私が行ったデパートの紳士服売り場の一角には、サッカー日本代表のレプリカユニフォームもバーゲンセールの対象品として並んでいた。背中にNAKATA 7 と入ったユニフォームが7700円。かなり安くなっていたが、今からこのユニフォームを着たら、「雪の華」の着メロと同じくらいの遅刻感が漂うだろう。

特に買いたいものはなかったはずなのに、3点も購入してしまった。1点はよく見るとセール対象外のものであり、あとの2点は果たして似合うのかどうか・・・・・。バーゲン会場に行くと、毒気にあてられるというか、勢いがついてしまうのだ。「早起きは3文の得」とは全く逆の結果になってしまった。やっぱり、ねてよう日にしとけばよかったのか・・・・。

2006年07月11日

カリメン’37

ついに取りましたぞ、仮免を。教習所に通い始めた当初はどうなることやらと思ったけれど・・・・、思えば遠くへきたもんだ。といっても、まだ教習所近辺でしか運転していないけれど。

先日の学科の授業は、「応急救護措置」だった。

交通事故に遭遇し、瀕死の重傷者がいた場合、どういった手順で処置するか、一通り教わった後、人形相手に人工呼吸や心臓マッサージを練習した。

人形は全部で6体。どれも全く同じクラーク・ケント顔である。それぞれ足の裏に名前が書かれていた。一郎、二郎、三郎、四郎、五郎、六郎である。そんな名前がクラーク・ケント顔につけられているのである。もし、あの人形が自分で名乗れたとしたら、確実に「ワタシノー、ナマエハー、イッチローデース」とかって言いそうだ。

しこたま練習させられた後、一人ずつ教官の前で実演する。最大のヤマ場は、人工呼吸である。

人形たちは正しい人口呼吸で息を送ると、ランプが点灯する仕組みになっていた。ところが、かなりしっかり息を送り込まなければ反応してくれないのだ。

とはいえ、そこはアナウンサー。息を送り出す腹筋の力と肺活量には絶対の自信がある。そんなプロフェッショナルのプライドと気合が表情に表れていたのか、私はトップバッターに指名された。パートナーの人形は三郎だ。

「もしもーし、大丈夫ですかー?」

まず三郎の肩を叩き、意識の有無を確認した後、そばにいる人に救急車とAED(自動体外式除細動器)の手配を要請する。

「119番と、エ、エーデー・・・・・エーイーディーお願いします」

噛んだ。それこそプロフェッショナルなのに。あーあ・・・・・ため息交じりの人工呼吸を三郎に施す。よっしゃ!ランプは点灯した。

心臓マッサージをして再び人工呼吸。もちろんランプ点灯。完璧なパフォーマンスを見せることが出来た。

「大変お上手でしたよー」

教官からもお褒めの言葉を頂戴した。それだけに最初に噛んでしまったことがつくづく悔やまれるが、多少噛んだとしても、人命救助に影響はないだろうから、よしとしよう。

あとは気楽に他の生徒さんの様子を見るだけだ。皆さん、人形のランプを点けることが出来ずに苦労していた。♪なんていうんですか優越感。私の心の中の「他人を見下す若者たち」が頭をもたげてきた。フフーン、もうちょっと頑張らないとだめじゃないかー。

ところが、だ。そこで教官が驚くべき言動を吐いたのだ。

「ランプは、気にしないでいいですよ。実際の人間にはランプなんかついてませんですしねー」

こうして一郎、二郎、四郎、五郎、六郎は見殺しにされたのだった。

2006年07月13日

下條アトムさんに~、出会えなかった~

ナレーターには読む力だけでなく、想像力が必要という話。

先日、「戦争資料館、オープン」というVTRのナレーションを担当した。

ナレーションを読む前には、いつもディレクターにどんなトーンで読めばいいのかを確認する。

「暗いんだけれども、決して重くならないように。一つ一つの言葉を朴訥に丁寧に発音してほしい」

かなり具体的な指示をしてもらったが、実はこれは、一番最初に言われた注文が全く理解できなかったので、どういうことか問い質して引き出したものであった。その最初の指示とは・・・・

「暗い下條アトムさん風に読んで下さい」だった。

そんな下條アトムさんいる?

2006年07月21日

カリメン’37 その2

♪私の名前はカリメンでっす ああ、もちろんアダ名に決まってまっす

「仮免とったど~」と周囲に喧伝してから、ガクンと教習所に通うペースが落ちた。おそらく免許が取れるのは9月だろう。3ヶ月も仮免のままなんて、本当に「カリメン」がアダ名になりかねない。

しかし、まあそんなに慌てる必要もないか。何しろ、免許を取ったあとのことを全く決めていないのだ。車を買うか、買わないか。今のところ乗ってみたい車も特にない。

「僕にはどんな車が似合いますかねー?」

いろいろなところで聞いてみた。面白いことに答えはたった2つに集約された。

一つは「ハイブリッドカー」だ。私は地球に優しい男というイメージがあるらしい。まあ、それもそうだろう。今までずっと公共交通機関を利用してたわけだから。

そして、もう一つは「オープンカー」だった。一体なぜ?本人的にはかなり意外だったが、どうも私には「60年代のプレイボーイ」という雰囲気があるらしい。細身のカラフルな服を身に付けていっるー♪イメージがあるというのですー。

ハイブリッドのオープンカーがあれば♪これで決まりですー、これしかないのです アンアンアンアンなんだけどなー。

2006年07月25日

夏休みの宿題

夏休みの宿題にはあまりいい思い出がない。夏休みが終わる直前に取り掛かり、いい加減に仕上げ、それでも新学期に間に合わなくて「持ってくるのを忘れました」とみえみえのウソをついて毎年のように締め切りを引き伸ばしていた。

唯一、小学一年生のときの絵日記だけは、新学期になってから夏休みの優秀作品の一つとして校内に展示されたほど、しっかりしたものが提出できた。でもそれは祖父の助けがあったからだった。

その年の夏休みはほとんど祖父母の家で過ごした。一日の終わりに祖父の隣に座って絵日記を書くのが日課になっていた。祖父は小学校の元教師であり、絵や文章をいろいろと指導してくれたのだった。

中でも忘れられないのが、海に連れて行ってもらった日の日記だ。海を青い色鉛筆で塗りつぶそうとしたら怒られたのだ。

「海は青かったか?」

「うん」

「本当か」

「うん」

「よく思い出してみな」

「・・・・・・」

子供にとっては海は青しかなかった。私は答えに窮した。

「緑色のところがあっただろ」

そういわれてみればそうだった。あの海はエメラルドグリーンと青の部分がはっきり分かれていた。

自分の目で見たことをそのまま伝える、ジャーナリスト・相澤が誕生した瞬間だった。・・・・ウソ。まあそこまでじゃないけれど、結構その後の人生に影響のあった一言だと思う。

祖父と過ごした夏。プールでの出来事も忘れられない。祖父には、近所の町営プールによく連れて行ってもらったのだが、その日のプールには私と祖父以外誰もいなかった。祖父もただの付き添いで、水着などは最初から持っておらず、長ズボンとシャツを着たまま、プールサイドの日陰で寝転んでいた。

遊び相手もいなくて、泳ぐのに飽きてしまった私は、「今までに無い浮き輪の使い方」を考案し始めた。クリエイター・相澤が誕生した瞬間だった。・・・・これも大ウソ。「今までに無い浮き輪の使い方」というのは、すなわち「決してやってはいけない使い方」のことである。その浮き輪は二つの浮き輪が8の形にくっついたものだったので、前の浮き輪をリュックサックのように背負い、後ろの浮き輪に両足を通してプールに飛び込んだ結果、溺れたのだった。誕生どころかあやうく命を落とすところだった。手足の自由を奪われたうえ、顔を水から上げることもできない。ものすごく苦しかった。あの苦しさは今でもはっきりと思い出せる。ただその後の記憶は少し途切れる。気付いた時にはプールサイドに横たわっており、祖父が長ズボンを干していた。祖父が服を着たまま飛び込んで、助けてくれたのだ。祖父は私の命の恩人なのだ。記憶はないけれど、人工呼吸などもしてもらったかもしれない。そうすると、祖父は私のファーストキスの相手ということにもなるが、今となっては確かめることができない。

祖父はこの二ヶ月で急速に体調を悪くしていて、今やベッドに横たわり、酸素と水分の吸入を受けている状態で、意識はしっかりしているものの、肺に力がないため言葉がなかなか聞き取れないのだ。

もう老衰といっていい状態であり、祖父の部屋にはたくさんの子や孫が入れ替わり駆けつけ、見守っている。幸せな最後を迎えることができるといっていいと思うが、親戚たちに言わせると、初孫である私にいまだに嫁がいないことだけが唯一の心残りということになるそうだ。中には「誰か女の人に頼んでここまで来て貰って、結婚しますってウソついちゃえば」と超無責任な提案をする親戚もいた。

そんな話を聞いていたのかいないのか、祖父がベッドのすぐそばに座っていた私に向かって声をかけた。私には全く聞き取れなかったのだが、周りにいた親戚によると、私に嫁はまだか?と聞いているらしい。本当にそんなこと言ってるかなー?そういう先入観を持って聞いてたから、そう聞こえたんじゃないの?と思ったが、ベッドの反対側にいた叔父が祖父の耳元で大声で怒鳴った。

「まだいねーってよ!」

心底情けない気持ちになった。「もっと早くやっておけばよかった。あんなに時間はあったのに」という、手付かずの宿題がいっぱい残った夏休み最後の日のような気持ち。叔父が私の代わりにさっさと答えてしまったから、あの言い訳も使えない。「持ってくるの忘れましたー」

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プロフィール

【最近面白かった漫画】
「三月のライオン」
「とめはねっ!」
「宇宙兄弟」
「モテキ」
「へうげもの」
「もやしもん」
「こさめちゃん」
「犬のジュース屋さん Z」

【好きな言葉】
「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」(寺山修二)
「しゃかりきコロンブス」(光ゲンジ)

【担当番組】
ニュースデータで解析!サンデージャーナル、特番など

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