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2007年11月12日

落ち葉のクレッシェンド

一年間のブランクを経て、再び英会話教室に通い始めた。私の場合、英会話教室でも行っておかないと、休日に誰とも言葉を交わさない恐れがある。「あれ?そういえばきょう英語しかしゃべってないじゃん!」というものすごく国際人みたいな休日もあるが、それは英会話教室以外で人と会話しなかったということである。

一年間休んでいたのに、復帰してみたらなぜだかさらに上のレベルのテキストに変わった。しゃべる内容がより複雑になってきた。
例えば、講師が女優を夢見て頑張っている若者を演じ、私は「才能がないから、他の職業に就いたほうがいいんじゃないの?」ということをうまくオブラートに包みながら言ったり、講師がギャンブル大好きな人の役で、私はその妻から「あの人にギャンブルをやめさせて」と泣きつかれて、やめさせたりするのだ。

英語もさして得意というレベルではないが、それ以上に私が苦手としているのが人のプライバシーに入り込むことである。そのうえギャンブルには全く興味がなく、そんなものにのめり込む人の気持ちが全く理解できない。
「今までの人生で何かにのめり込むほど夢中になったことはない?」
講師のリニーに訊かれた。リニーは大学を卒業したばかりの可愛らしいお嬢さんだ。
「私は昔ドラクエに2、3週間かかりきりになったことがあるわ。今となってはなんであそこまで夢中になったかよくわからないんだけど・・・・・」
今となってはなんであそこまで夢中になったかわからないといえば、私の場合、アレだ。
「おニャン子クラブ・・・・」
「何?それは!」
やばい。食いついた。まあ、食いつくか・・・。
「おナ?」
「おニャン子クラブ」
「おニャ・・・?」
「おニャン子クラブ」
「おニャン?」
「お・ニャ・ン・子・クラブ」
繰り返し正確に発音させられるハメになり大層恥ずかしかった。マンツーマン英会話とはいえ、となりのブースとはパテントで区切られているだけだから、周りの日本人生徒たちにも丸聞こえだ。でもしょうがない、外国人であるリニーには、中年男性が「おニャン子」と口にすることの恥ずかしさはわからないのだ。
それにしてもおニャン子クラブというグループ名の由来や「セーラー服を脱がさないで」「およしになってねteacher」、まして「象さんのスキャンティ」などと言った楽曲について、可憐なお嬢さんに説明するのはためらわれ、顔を赤くして「アー」だの「ウー」だの言っていたら、リニーは何かを察したらしく「話したくないなら話さなくていいから」と言ってくれた。とりあえず「80年代のモーニング娘。」というおおよその説明だけしておいたが、そんなグループのコンサートに私が足繁く通っていたということだけでもリニーにはバカウケだった。

そもそも何で私はおニャン子クラブに夢中になってしまったのか?ここから先はさらにいろいろ説明しづらいので黙っておいたが、私は22年前のある日を境に急にファンになったのだった。
夢におニャン子クラブのメンバーが出てきたのだ。
「夢に出てきた人を好きになる」というのは日本の男子高校生に特有の現象かもしれず、理解してもらえない恐れがある。やはりリニーには黙っておくべきだったろう。
夢の中でそのメンバーはウチの高校の体育の授業を見学に来ていた。ちょうど柔道の授業中であり、なぜか私がクラスを代表してその子に「袈裟固め」という寝技をかけることになったのである。技をかけた後私は「僕ばかり技をかけるのも失礼なので、今度はかけて下さい」とお願いした。何が失礼にあたるのかよくわからないが、私の言葉に素直に従ったその子に袈裟固めをかけられたとき、恋が始まったのだった。

こんなエピソードはやはり、リニーには話せない。「袈裟固め」を英語で何と言ったらいいかもわからないしね。

2007年11月19日

ナンノこれしき

前回、高校時代におニャン子クラブのファンだったことを白状いたしましたが、当時我々の間でおニャン子と人気を二分していたのが、南野陽子さんでした。

ある日、クラスメートたちと南野陽子さんの話で盛り上がっていたところ、突然S君が「俺はあんまりいいと思わない」と言い放ちました。「一体どういうつもりでそんな失敬なことを言うのか!」と詰め寄ったところ、S君はこう言いました。

「だってアイツ、料理とかできなさそうじゃん」

「結婚前提かよっ!」
みんなに一斉に突っ込まれていました。

2007年11月20日

2007年 秋の日記 その1

10月15日

映画「クワイエットルームへようこそ」の松尾スズキ監督にインタビュー。
長年大ファンである松尾さんを前にして、「この好意を伝えたい」「何とかおもてなししたい」と強く思ったのだが、何もできなかった・・・。好きな人の前だといつもこうなの・・・・。
「もし俺がカワイイ女子アナだったら、微笑むだけで十分おもてなしなんだけどなあ」という考えもよぎったけれど、「じゃあ、インタビュアーを女子アナに替えよっか?」と言われても、それは拒否します。断固として。

映画の中で主人公の雑誌ライターが「私は800字のコラムも書けない中身カラッポ人間だー」と絶叫するシーンがあったので、雑誌に多数のコラムを掲載している松尾さんでも、若い頃はそんなことを思ったこともあったのかしらん?と思って訊いてみたが、「さすがに800字が書けなかったことはないです」という答えだった。

つづく

2007年11月21日

2007年 秋の日記 その2

10月27日

その松尾さんが演出したミュージカル「キャバレー」を観に行った。
スゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイス!
いつのまにかスゴイと言っているんだか、ゴイスと言っているんだかわからなくなるほど、スゴイという言葉を心の中で連発した。
キャバレーといえばブロードウエイ・ミュージカルである。
ブロードウエイ・ミュージカルのはずなのにシュールなギャグ漫画「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」のテイストが混ざっているのだ。
老いたカップルのデュエット曲に、窓ガラスを叩き割ったり、バイクを盗んだりと、尾崎豊のパロディが入ってきたりするので全くもって油断できない。
テーマソングの中で繰り返される♪人生はキャバレ~というフレーズが一回、♪人生はキャバレ~、そうじゃん!と歌われていたところには岡村靖幸さんの影響が感じられて嬉しかった。
かつて和製プリンスと呼ばれたロックミュージシャン、岡村靖幸さんは私の20年来の心の兄貴なのだ。

つづく

2007年11月22日

2007年 秋の日記 その3

11月14日

その岡村靖幸さんのライブに行った。
こういうライブに出かけるのは、数ヶ月前に知人に誘われてチャゲ&飛鳥のコンサートに足を運んで以来だ。
チャゲ&飛鳥さんのコンサートのお客さんの平均年齢は40歳を越えているように思われた。冒頭の「恋人はワイン色」で総立ちになった後、しばらくするとバラードとトークのコーナーになり、全員ゆっくり座って楽しめるという、お客さんの年齢に配慮した構成になっていた。
齢を重ねると弱くなるのは足腰ばかりではない。
バラードコーナーの後半になるとわらわらとトイレに向かう人が出てきた。これもまあ、しょうがないことである。
しかし、この人たちがすごいのは、ちゃんとトイレのタイミングを計算していることである。ちょうど帰ってきた頃、アップテンポな曲が始まり、観客は総立ちになった。そしてそのまま「YAH!YAH!YAH!」に突入したのだった。


そんなことを思い出したら、急にトイレに行きたくなって来た。
おかしいな?ちゃんと行っておいたのに。
今回のライブはライブハウスが会場だったので、入り口でドリンクチケットを強制的に買わされた。さほど飲みたくもないビールを一気に飲み干したのがいけなかったのかもしれない。もう一度トイレに行きたいところだったが、すでに開演予定時刻を過ぎていた。
「我慢できるな?」
半ば脅迫するように膀胱に言い聞かせ、開演を待った。
そんな風に過ごす時間は長く感じるものだが、それにしても始まらない。
気付けば15分が経過していた。
これはおかしい。
名古屋のベイビーたち(岡村さんはライブに来たお客さんをこう呼ぶ)が異変を感じ始めた頃、コンサートツアーのプロデューサーという人物がステージに上がってマイクを握った。
「大変申し訳ないのですが、きょうのコンサートを中止させて頂きます」
なんと、岡村さんはきのう行われた大阪城ホールでのライブで、ふくらはぎの筋肉断裂という大怪我を負ったそうだ。
「これから岡村本人より、皆様にご挨拶をさせていただきます」
岡村さんがステージに現れ、キーボードの前に座って歌い始めた。
♪名古屋のベイビーたち ごめんなさーい
弾き語りによる謝罪だった。
♪本当にギリギリまでやろうと思ってたんだあ~ だから衣装だって着てるのさ~ でも筋肉断裂~
哀しくて切ないメロディ。久々に聴く岡村さんの歌がこんなものになるなんて・・・。
♪この埋め合わせは絶対するよお~
そう歌って岡村さんがステージから去るのを見届けると、私は一直線にトイレに向かった。不幸中の幸いというべきか、コンサートが中止になったおかげで私はここでキッパリと膀胱との対話を打ち切ることが出来たのだった。

ライブハウスを出て、駅へと向かう道すがら、一部の名古屋のベイビーたちが岡村さんについて「きっと若い頃と同じつもりでライブで動き回ってたら、体がついていかなくて怪我をしてしまったのだ」と言っているのを耳にした。
振替公演ではそういう見方を打ち消すような激しいダンサンブルなステージを見せてほしいものである。岡村さん、リハビリ頑張って下さい。私もそれまでに膀胱を鍛え直しておきます。

つづく

2007年11月26日

2007年 秋の日記 その4

11月18日

鍛え直すべきなのは膀胱ばかりではなかった。足腰も心肺機能も相当鍛え直す必要がある。木曽三川公園リレーマラソンに参加してつくづくそう思った。

「何でもいいから、ここに名前書いて」
飲み会で酔いが回った頃にそう言われて、参加申込書にサインした人間が21人もいた。
集まりすぎだった。20人と21人では大きな違いがあったのだ。
木曽三川公園リレーマラソンは5人以上10人以下のメンバーで一つのチームを作り、リレーで42、195km走るというイベントである。
集まったのが20人だったら、10人のチームを2つ作ればよかったのだが、21人集まったために7人のチームを3つ作らなければならなくなった。
10人で42、195kmを割ると、一人大体4kmという計算になるが、7人だと6kmになってしまう。
木曽三川公園のランニングコースは一周2km。一周走りきると次の走者にたすきを渡してローテーションしていく。10人であれば一人2回ずつ走ればすんだのに、7人になったために3回ずつ走らなくてはいけなくなったのだった。

3チームとも「にっぽんど真ん中まつり」の出場チーム「大須笑店街☆21」が母体だったが、私のチームは最年長の私を含め30代の男性が何人かいたために「おっさん臭店街」というチーム名にされていた。走るたびに空気を汚しているみたいでとてもイヤな感じである。

前の走者からたすきを受け取るリレーゾーンから200mほど走ったところに、ランナーとしては参加しない大須笑店街☆21のメンバーが応援団として陣取っていた。応援団といっても、彼らのテーマは昼からみんなで楽しくお酒を飲もうというものである。
だが、たとえ酔っ払いが相手でも、私は人から見られると燃えてしまうタイプの人間である。たすきを受け取ってから、酔っ払いたちが陣取っているところを過ぎるまでのおよそ300mをかなりのペースで飛ばした。完全にペース配分を間違っていた。残りの1700mは地獄の苦しみを味わうはめになった。

一回目の出番でそんな苦しみを味わったのに、2回目でも同じことを繰り返した。そして、まるで学習することなく3回目の出番でも出だしから飛ばしていたら、2回目の出番までは「頑張れー!」と声援を送ってくれていた応援団が「だから飛ばし過ぎだって!」「ペースを落とせー」「無理するなー」「調子に乗るなー」と激しい罵声を浴びせてきたのだった。

最後の走者に襷が渡った。
ゴール前の直線は、チームメイトによる並走が許されている。
みんなで手を繋いでゴールテープを切り、そのままジャンプして叫んだ。
「ビクトリー!」
何ていうんですか、達成感。
「なぜ、金を払ってまで走るのか?」という疑問への解答を見つけた気がした。
もちろん、それも走り終えたあとだから言えることだけどね。
走っている最中はとても・・・・・。

おしまい


2007年11月27日

A組男子の法隆寺

先日、奈良の法隆寺に行ってきた。
法隆寺を訪ねるのは高校時代の修学旅行以来だ。

行楽の秋が修学旅行の秋であるのは昔も今も変わらない。
境内にはたくさんの修学旅行生の姿があった。そしてその中心でバスガイドさんが案内をしていた。

「これがエンタシスです」
エンタシス!真ん中からちょっと下が膨らんでる円柱のことである。確か22年前にもここで聞いたと思う。懐かしい。バスガイドさんが口にするコメントも、昔と変わっていないようだった。
そのほかにも、アルカイックスマイルとか、玉虫厨子とか、A組男子の皆さん、もう少し早く歩いて下さいとか、A組男子の皆さん、大声を出さないで下さいとか、A組男子の皆さん、いい加減にして下さいとか、A組男子・・・・・・つーかA組男子うるさいよっ!おかげで秋とか旅とかが醸し出すはずの情緒が台無しである。

そんなA組男子の一人が、金堂、五重塔、大講堂、夢殿など境内の建物を一通り見てからこう言った。。
「ところで、どれが法隆寺なの?」

本当にしっかりして下さい、A組男子!

2007年11月28日

サイパン一人旅 その1

一人の時間を楽しむ女性のことを「お一人様」というらしい。男が同じことをしてもそれはただの「一人」であり、様はつかない。なぜか敬称略、呼び捨てになってしまう。これは差別なんじゃないのか!腹が立つ。

2007年も一人のまま終わろうとしている。
そのうち誰か一緒に旅行する相手も現れるんじゃなかろうかと、ずるずる夏休みを取るのを遅らせていたら、まもなく12月だ。
ちなみに去年もやはりずるずるしていたら、結局夏休みを取りそびれてしまった。そのパターンだけは避けなくてはならぬ。

11月30日から6連休を取ることにした。

一人旅を淋しいものにしないためには何かしらテーマを見つけることが大事である。挑戦だけが孤独を忘れさせるのだ。私はこれまでも熱帯雨林に分け入ったり、乗馬ツアーに参加したり、短期語学留学などにチャレンジしてきた。

いよいよ、アレに挑むか・・・・。
いつかやってみたいと思いつつ、何年も踏み出せずにいたものがあった。

つづく

2007年11月29日

サイパン一人旅 その2

「お前どっか海外でも行くの?6連休なんか取って?」
11月のある日、アナウンス部のシフト表を目にした制作部のS先輩が話し掛けてきた。
「サイパンに行ってきます」
「えー、マジでー!どうしたんだ?お前らしくもない。なんか普通じゃん」
私は今までボルネオやモンゴル、マルタなど、あまり普通の人は行かないようなところに行ってきた。それに比べると、サイパンは圧倒的に普通の観光地ということになる。
「で、誰と行くの?」
「・・・・一人です」
「え!一人?一人でサイパン!?」
「はい」
「それはスゴイ!!!だったら普通じゃない。やっぱりさすが相澤だなあ」
完全にバカにしている。
「何で一人なの?」
「まあ、いろいろありまして」
別に何もないが、見栄を張ってみた。
「でも一人でサイパンって有り得ないよなー。完全なリゾート地だもの」
多くの日本人にとって一人旅という言葉から連想するのはまず「みちのく一人旅」である。みちのくとサイパンはまさに対極。私は最も一人旅の似合わない場所を選んだと言えるのかもしれない。でも私にはサイパンに行く目的があったのだ。
「スキューバ・ダイビングの免許を取ろうと思うんです。一人だっていいじゃないですか、どうせ海の中に潜れば一人でしょ?」
「確かにそうだな。そして、死ぬときも一人で死んでいく・・・・

つづく

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プロフィール

【最近面白かった漫画】
「三月のライオン」
「とめはねっ!」
「宇宙兄弟」
「モテキ」
「へうげもの」
「もやしもん」
「こさめちゃん」
「犬のジュース屋さん Z」

【好きな言葉】
「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」(寺山修二)
「しゃかりきコロンブス」(光ゲンジ)

【担当番組】
ニュースデータで解析!サンデージャーナル、特番など

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